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10. 小学5年生 **小説「先」**


夏休みの思い出というから、女湯の絵を描いた。

裸体の女たちが10人ほどいるお風呂場の絵を
画用紙いっぱいに描いた。

下半身を隠すもの隠さぬもの、大人から子供まで様々描いた。ディテールや登場人物の背景や人間関係にもこだわった。真っ白な四つ切画用紙の中で、各々が源泉かけ流しを楽しんでおり、洗い場も露天風呂も、平日というのに混雑している。

黒クレヨンで下書きができたら一度見せろというので先生に見せに行ったら、ダメだと言われた。

私は夏休みに行ったあの温泉がいかに楽しかったかを描きたかった。けれど、いつもは理解してくれる先生も、この時だけは、今まで見せたことのない苦い笑顔を顔に貼り付けて、分かりにくいだの平凡だの退屈だの一生懸命頑張ってケチをつけていた。

でも、「一番の思い出」が絵の課題だから、思い出のすばらしさと絵の工夫ポイントを一生懸命プレゼンした。だけど、いくらプレゼンしても、珍しく先生は折れなかった。私の創造のアラを爪楊枝でこそぐかのように一生懸命否定した。

5ターン目くらいで、要は裸の女性を描くのが悪いんだ、と察した。

だったらそう言えばいいのに。言いたいことは分かったよ!と言わんばかりに先生から画用紙をぶん取った。

席に戻り、大きく×をして、同じ画用紙の裏側に、ジェットコースターに乗った自分の顔を画用紙いっぱいに描いた。

ヘルメットにGoProをつけて罰ゲームで絶叫マシンに乗ったタレントさんの変顔のような構図。どーせこういう絵が欲しいんだろ?という怒りと反抗を画用紙に思い切りぶつけた。


画用紙いっぱいに大きく描けば、それなりの賞を取れることは、これまでの経験で分かっていた。まぁ実際そうやって佳作を量産してきたし。



大人は、子供の、粗くて力強くて絶妙にアンバランスで、そこを子供の強みである清さや創造の気迫で補う絵がなぜか大好きだ。

子供らしい芸術的不完全が大人にうける。それはわかる。なぜわかるかは知らん。

これが世間の大人が子供に求める子供像なんだろうな、そしてそれにどれだけ応えたかが通知表の5の魚群、ペカり5のJACKPOTなんだろうなと考えながら、しばらく乗っていないジェットコースターの絵を描いた。


そして案の定、特別賞をとった。
だろうな。想定内だ。


そしてその年の最優秀賞。他県の上級生。
ばっちり、女湯の絵だった。
だろうな。想定内だ。


***


11.小学4年生



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