シャコンヌとフーガ、メヌエット-暗明暗のBACH音楽
バッハの音楽には、暗-明-暗の三部構成を明確に聞き取れるものがいくつもある。
短調の主題(暗)で始まり、長調の中間部(明)を経て、短調主題の再現(暗)で終わる三部構成は、シンプルながら効果抜群である。
今回は、そのなかでも中間部が圧倒的な存在感を放つ三つの名曲をご紹介。
シャコンヌ
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番より、シャコンヌ。
言わずと知れたシャコンヌ。
ここに聞くのは21世紀のシャコンヌ演奏最前線である。
変奏曲の一種としてのシャコンヌは、バッハにおいて、もはや変奏曲であることをすっかり忘れてしまっている。
自由奔放にしてドラマティックなシャコンヌは、変奏曲形式のうちに、形式を超越する。
ニ長調の中間部に広がるのは、言うまでもなく究極の普遍美、美そのものである。
狂おしいほどの美(よさ)を前に、形式は没却される。
驚くべきことだが、その中間部においても、変奏曲形式は決して放棄されていない。
シャコンヌは、最初から最後まで、変奏曲なのである。
冒頭のニ短調の主題も、ニ長調の中間部も、同じベースラインのくりかえしの上に成り立っているに過ぎない。
そう思って改めてシャコンヌを聞くとき、バッハの描く音楽世界に、ひとは戦慄する。
実際、バッハのシャコンヌは、音楽史における特異点なのである。
フーガ
前奏曲とフーガ(BWV548)より、フーガ。
バッハ円熟期のオルガン曲であり、無数にあるバッハのフーガのなかでも傑出した作品である。
当時から、フーガは古臭い音楽の典型であった。
作曲作法が非常に厳格で、表現の自由度に欠けるフーガは、啓蒙主義の世には時代遅れであった。バッハの息子たちは、ソナタやコンチェルト、シンフォニーといった新時代のジャンルですでにヨーロッパ音楽界を牽引していた。
一方、バッハにとって、そのような古色蒼然として形式主義的なフーガさえ、自由な音楽表現のひとつの手段に過ぎなかった。
このホ短調フーガの中間部は、まさに形式主義における形式からの脱却、形式の自己否定である。
音階上を縦横無尽に駆け巡る音符たち、噴出するパッション、最強にアグレッシブなバッハ。
短調主題から生まれ落ちた音階的動機は、中間部において加工、長調化され、自由に、そして無限に羽ばたく。
フーガはここまで自由になれる、音楽の形式などというのは自己矛盾だと言わんばかりの音楽的乱舞である。
音楽的自由は、形式を超越する。
作曲者にとって、フーガという形式、名称、タイトルはまったく本質ではない。
バッハはどんな形式においても、自らの表現を追求しつづけた。
新時代のニュースタイルには目もくれず、既存のジャンルで、既存の楽器で、すべてを表現し尽くした類まれな音楽家、それこそバッハそのひとであった。
メヌエット
無伴奏チェロ組曲第2番より、メヌエット。
シャコンヌと同様、ニ短調-ニ長調-ニ短調という調的対比が特徴的な三部形式である。
ニ長調の中間部は、実に朗らかで、爽やかですらある。
峻厳なニ短調主題とは対照的に、慈愛に満ちた、素朴で清らかな音楽である。
たったの24小節、時間にしてわずか1分少々のうちに、様々な音楽的表情を浮かべてみせるバッハの音楽は、まこと心にくい。
まとめ
暗明暗の三部構成というテーマで巡るバッハの名曲、いかがだっただろうか。
10分を優に超える大曲でも1分程度の小品でも、バッハの音楽の濃度は変わらない。1000曲に及ぶバッハ作品の森は今日も青々として、我々の散策を朗らかに見守っているのである。