Haran 晩子のあたり前のおはなし「これでいいのだ。について考えてみましょう。」
アニメ「天才バカボン」は、ご存じない方もみえるかも知れませんが、今は亡き、赤塚不二夫さんの連載漫画のタイトルです。
家族構成は、ちょっとバカな小学生の「バカボン」、そのバカボンが尊敬する「バカボンのパパ」、包容力があっていつも優しいバカボンのママそして天才あかちゃんの「ハジメちゃん」の4人、結末はどうであれ、最後は決まってバカボンパパの「これでいいのだ」で終わり。
私はこのアニメが大好きでした。
原作者の赤塚不二夫さんは2008年に亡くなられました。テレビにも時々出られており、言動そのものが「バカボンのパパ」にように面白くいつも周囲を煙にまいていました。
関係者のお話によると、テレビとは違って、他人に気配りができ、やさしくてとても繊細の方だったようです。
先日、ある雑誌に高僧の言葉として「人は現実の自分と思い描く自分とのギャップにもがき苦しみ続けている。これが人間の欲であり、つまり煩悩なのだ。
たとえば、現実が思いどおりに描く自分と同じであれば死ぬことはないだろう。人間社会は努力しても思いどおりに行かないことがあたりまえなのだ。」このような文章が掲載されていました。
私もそのとおりだと思います。
「バカボンのパパ」には名前がありません。
きっと「バカボンのパパ」は私たち読者だと言いたかったのだと思います。
自分が思い描く世界から自らを解放すことで、私たちは楽になれます。
そのためには、現実の自分を直視し全てを受け入れる勇気が求められます。
その勇気こそが、「これでいいのだ。」の言葉です。
故赤塚不二夫さんは、もしかしたら偉大な宗教家だったかも知れません。
だから「これでいいのだ。」