Haran 晩子のあたり前のおはなし「それでも自由人に憧れるのなら」
「#自由人」について少し考えてみましょう。
多くの人は生きていくための糧としての働きがあります。
その働き方は多種多様です。
会社にはルールがあり、集団で利益を追求するため、意思疎通をことさら重要視します。
中にはマニュアルありきの会社もあります。
これらのことを鬱陶しいと感じる人、あるいは自分はもっと飛躍できる可能性があると考える者が少なからずいます。
私もその中の一人でした。
彼らは、自由を求めて組織からエスケープします。
エスケープしたとたん、「ただの人。」になってしまいます。
組織という看板はなくなり、魑魅魍魎の世の中を一人で生きていかなければなりません。
そのとき、自由とは、大海原に投げ出されたヨットを操舵するようなものだとはじめて気づかされます。
自分の行きたい場所へどこでも行けます。
そしてあらゆる選択肢を手にすることも可能になります。
しかし選択を誤ってしまうと、無人島で一生孤独に暮らすか、遭難してサメの餌食になってしまうかも知れません。
その選択の結果責任は全て自分に返ってくるのです。
自由人となって選択肢を誤った結果、悲惨な末路を遂げた人を数多く知っています。
私もその末路を辿った一人だったかも知れません。
それでも自由人に憧れるなら、旅の途中で死に絶えることを
良しとする覚悟が必要です。