現地コーディネーター:第21話
フレンチクオーターはどこを歩いても人がごったがえしていて、どの飲食店も店外まで行列が続いている。並ぶつもりのない三人はテイクアウト専用の簡易屋台のバーでハリケーンというカクテルを三つ頼んだ。地元名物で一度は飲むべき酒だとフリアナが言うのだから飲まないわけにはいかない。
「サウージ!」
出会って間もないのにすっかり馴染んだフリアナの音頭で乾杯をした。オレンジとパッションフルーツのジュースのミックスがすっきりとして飲みやすいが、随分な量のラムが入っている。フリアナになかなか話しかけられないエドウィンは早いペースでハリケーンを飲んだ。
騎馬の銅像が見下ろすジャクソン広場を抜けると、ミシシッピ川が見えてくる。メンフィスで垣間見たあの巨大な水源はここで終わるらしい。数年前のハリケーンのニュース映像で見た時のそれとは一切表情が異なり、流れは随分と穏やかだった。三人は川沿いの遊歩道のベンチに腰を降ろすとまた意味もなく乾杯をした。
「君はブラジルのどこで育ったの?」カズマはフリアナに尋ねた。
「私はサルヴァドールにあるファヴェーラで育ったの」
ファベーラ?エドウィンが尋ねると彼女はスラム街の事だと言う。
「お父さんはドラッグディーラーだったの。私が七歳の時に殺されちゃったけどね」
フリアナが淡々と説明を加える。
「それで私はお母さんとお婆ちゃんに育てられてたの。アメリカにはずっと行きたかったけど、弟と妹もいたし。でもあそこからは早く出なきゃってずっと思ってた」
「それで実際に出てきたわけだ。でもどうやって?」
カズマは感心しながら、インタビュアーのように質問を続ける。
「十年前にお婆ちゃん、四年前にお母さんが亡くなった。遺産はなかったけど、お母さんが生命保険に入ってて…貧乏なくせにね。それで弟妹の将来の生活分くらいにはなったの。それで私はアメリカに片道切符だけ買って来たの。ニューオーリンズには遠縁の親戚もいたし。彼らは違法滞在がバレて最近強制送還されちゃったけど」
自分の日常からかけ離れた壮絶な話にどう反応していいのか、エドウィンにはわからなかった。カズマの様子をチラッと見ると、彼は突然立ち上がり川岸まで駆け出した。そして向こう岸に大声で叫んだ。
「ロイ、ニューオーリンズをありがとう!」
「ロイって誰?」
エドウィンはメンフィスでの出来事をかいつまんで説明すると、フリアナはクスッと笑い叫び続けるカズマを慈しむような表情で眺めた。
「クレイジー・ボーイね」
「女の子はああいうヤツが好きなんだよね」
エドウィンは少し恨めしそうにつぶやいた。
「そんな事ないわよ。私はあなたの方がずっと好き」
予想外の返事に、エドウィンはそわそわとした。
「日系人はブラジルでは尊敬の目で見られているのよ。ブラジルの開拓にすごく貢献したって。成功している人も多いし」
エドウィンは思わず姿勢を正す。そんな事は初耳だ。
「真面目で誠実な人の方がいい。クレイジーな人はいなくなるんだもの」
父親の事を思い出しているのだろうか、フリアナは穏やかな瞳で自分を見つめるエドウィンから目を逸らし、川の方を見つめた。自分の顔が赤らんでいることには気付かない。
「もうちょっとしたら仕事に行かないと」
フリアナが携帯を見ながら呟く。エドウィンは肩を落とし、返す言葉を探す。するとタイミングを測ったかのようにカズマが走って戻ってくる。
「お待たせ、レディーアンドジェントルマン」
ほろ酔いのカズマがおどけるとフリアナはくすっと笑った。
「誰も待ってないよ」エドウィンには精一杯の英語のジョーク。
「短いけど一緒に過ごせてよかったわ。じゃあそろそろ行くわね」
カズマはフリアナの言葉に露骨に顔をしかめ、エドウィンの顔を覗き込んだ。エドウィンは仕方ないよ、という風に肩をすくめる。カズマはフリアナの腕を掴むと、まるで誘拐でもするように川岸まで引っ張った。
*
「君は一晩いくらなんだ?」
単刀直入なカズマの質問にフリアナは面食らった。威嚇的にさえ感じる鋭い眼差しはどんな嘘も見透かす亡父のそれを思い出させた。
「一時間で四百ドル。二時間で七百ドル。一晩ていう料金設定はないわ」
「それで今日は何人予約が入ってるの?」
カズマは表情を変えず、淡々と続ける。
「まだ一人だけ。これからもっと連絡が入ると思うけど…。でもマルディグラ期間中はタチの悪い客が多いから、常連客以外の呼び出しは受けないわ」
「間にポン引きが入ってるんだよな?」
「個人でやってるわ。ネットの裏サイトを使って。ポン引きなんて入れてたら私はこんな安くないわよ」
フリアナは笑いながら立派に突き出た自分の尻を叩いた。
カズマはしばらく頭の中で考えを巡らせた後、尋ねた。
「明日は?」
「マルディグラの日は流石に休むわ。禁欲日だから誰も来ないだろうし、私もこれでも一応クリスチャンだしね。」
フリアナは皮肉混じりに微笑む。
「明日の夕方まで君を抑えたい。千ドルでどうかな。それでエドウィンのエスコートを丸一日してくれないか?」
カズマはフリアナの怪訝な視線など意に介さず続ける。
「わかると思うけど、あいつは君の嫌がる事をするようなヤツじゃない。普段の客と比べたら天使のような客だと思うよ。もしかしたら君に手さえ出さないかもしれない。それでも全額払う」
フリアナは不思議そうな面持ちでカズマを見つめる。
「それをあなたが全部払うの?なんで?」
「話せば長くなるけど、オレは金をもらってあいつの世話をしてる。オレのギャラから一日ぶん君に渡すだけだ」
「じゃああなたが私のポン引きになるのね」
「まあそんなところだ。儲けの全く無いポン引きさ」
カズマは自分でもなんでそんな提案をしたのか分からなかった。エドウィンに対する罪滅ぼしもあるーでもただ直感的にここにいる三人全員にとって一番ハッピーな選択な気がしたからだった。
「いいわ」
フリアナはカズマの妙な真剣さに根負けし、ゆっくりと頷いた。
カズマはそれを聞くと一気に表情を緩め、フリアナに飛びつくようにハグをした。フリアナはまるで暴れ犬をあやすようにカズマのドレッド頭をポンポンと叩いた。
「でも、なんでわかったの?私の仕事のこと」
「男の直感かな。オレは女のことに関しては鼻が効くんだ」
カズマが得意げに言うと、フリアナは疑いの目で覗き込んだ。
「携帯二つ使ってたろ?一つは古いフリップ式の、誰が今時使うんだっていう、いかにも使い捨てっぽいヤツ」
フリアナはなるほどと深く頷いた。
「酔いさましにコーヒーでも飲みに行こう。オレは適当なタイミングで抜けるから」
「それはいい案ね。すぐ近くに有名なカフェがあるの。そこに行きましょ」
フリアナはカズマの腕を掴みながらスキップのような軽快さで土手を駆け上がり、不安げに様子を見ていたエドウィンと合流するとそっと彼の手を握った。そしてどぎまぎした様子のエドウィンに自身とカズマの軽快さを伝染させ、ミシシッピ川を後にした。
*
三人はディケーター通り沿いのカフェに腰を落ち着けた。オープンテラスには古びたダイニングチェアと小さなマーブルの丸テーブルが所狭しと置いてあり、見渡す限りの席が客で埋まっている。
「ここは普段から行列ができる有名なところなのよ。この時期にちょっと並んだだけで座れるなんてすごいラッキーよ」
「カルマだね。オレの日頃の行いが良いから」
カズマが真顔で言う。エドウィンは首を大きく横に振る。フリアナは二人の様子を見ながら声を出して笑った。エドウィンは彼女の屈託のない笑顔に思わずつられて微笑んだ。
テーブルに置かれたメニューにはベニエというドーナツのような揚げパン以外の食べ物が載っていない。コーヒーもカフェオレかブレンドの二種類のみで、優柔不断なエドウィンにはちょうど良い。
カズマが注文しようと手を上げかけると、エドウィンが張り合う
ように手をあげ、ベトナム人の年配ウェイトレスに注文した。
カズマはフリアナがさりげなく隣のエドウィンの膝に手を置いているのに気づく。仕事としてか本当に気があるのかはよくわからなかった。女は人種を問わず皆優れた役者だ。彼女らが何を考えているのかはいくら年を重ねてもきっとわからないのだろうーカズマは思った。フリアナがエドウィンの耳もとで何か囁くとエドウィンは目尻を垂らしながら相槌を打っている。
カズマはウェイターが持ってきたベニエを勢い良くほおばると、表面を覆う大量の粉砂糖にむせて思い切りその粉を吹き出してしまった。フリアナがその様子を笑い、それにつられてエドウィンが笑う。これでいい、自分は道化に徹すればいいのだ。カズマは残ったベニエの塊をコーヒーで一気に流し込むと、テーブルにくしゃくしゃの二十ドル札を置いて立ち上がった。
「ちょっと先に失礼するよ。観たいジャズのライブがあるんだ」
不意をつかれたエドウィンはカズマに目で訴えた。
(オレ一人でどうすればいいの?)
(嫌ならいるけど、お前はそれでいいのか?)
カズマがエドウィンの瞳を覗き込むと、エドウィンは小さく首を横に振った。カズマは嬉しそうに微笑むと、周りの客が振り返るくらいの大声で「ハッピー•マルディグラ!」と叫んだ。そしてフリアナにウィンクをし、軽やかにフレンチクオーターの中心街に消えていった。
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