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現地コーディネーター:第20話

 ミシシッピ州の安モーテルで一晩を過ごした二人は急に湧いてでてきた目的地ニューオーリンズへ向かった。二人を乗せたビートルは時速百キロで舗装されたばかりの道路を滑るように進んだ。古い木々が道路の両側に茂り、その影には小さな教会や田畑が広がる。

 モーテルは前回より清潔だったし、カズマの提案でそれぞれ別の部屋に泊まったのだが、エドウィンは気分が高揚して中々寝付けず、またしばしの間眠っても極度に乾燥した部屋のせいで途中で何度も目を覚ましてしまっていた。アメリカに来てまだ一度もしっかり快適に寝れていない気がする。

 反対車線の向こうには大きな沼地が見え、そこには苔むした木々と老朽化した小船の残骸が沈んでいた。そこから出てきたのだろうペリカンの家族がのんびり行列をなして路肩を歩いている。エドウィンはその様子を眺めながら、甘い南部の香りを感じつつ、いがらっぽい喉にサーモスの水を流し込み助手席で目を閉じた。

 二日ぶりにぐっすり寝たカズマは州道四十九号線から十三号線、そして二十五号線へと軽快に道路を乗り換えていく。道路の呼び名が変われども景色が大きく変わるという訳ではない。コーン畑が綿花畑に変わる程度だ。カズマは果てしないアメリカの広さに畏怖にも似た感覚を抱きつつ、車内に流れるジャズのメロディに合わせてハンドルを叩きながらリズムを刻んだ。

 やがて二十五号線は湖を縦断する全長四十キロのポンチャートレイン橋に継続する。カズマはひたすらまっすぐに続く水上橋の向こうの水平線を見据えてスピードを上げた。湖面は太陽の光をキラキラと反射させている。車の後部から軋むような機械音が聞こえてくるが構うことはなかった。

 十五分ほどして橋の後半に差し掛かると、水平線上にビル群の頭が少しずつ見えてきた。

「あれがニューオーリンズですか?」
 うたた寝から目を覚ましたエドウィンが尋ねるとカズマは頷いた。

 湖を渡りきるとすぐに大通りに繋がるが、パレードの影響で交通封鎖されている。カズマは反対車線が流れているのを確認すると、強引にハンドルを大きく切ってUターンする。後続の車は一斉にクラクションをならすが、カズマは素知らぬ顔ですぐ近くの小さな通りに合流し、そのまま広い幹線道路に合流した。

 街の中心街であるフレンチクオーターの出口を出てからはさらに多くの道が封鎖されていて、カーナビの案内に沿うほどに中々目的地のホテルに辿り着かない。迂回と徐行を繰り返すビートルの開け放しの窓から入り込む湿地帯の心地よい風と路上トランペッターの奏でる乾いたジャズー大瓶を持った白人の観光客が踊りながら車道を横切ったり、道の真ん中で奇声をあげたりといった狂騒が段々と姿を現す。大量のアルコールを浴びたコンクリートの路面は饐えた匂いを漂わせている。まるで街中が酔っ払っているようだ。カズマは徐行しながら近くの警官に交通状況を尋ねると、オルフェウスと
いう名のパレードが間もなく始まるという事だった。

 泥酔した歩行者が車の前に突然飛び出してカズマはブレーキを強く踏む。轢かれかかった若者は呂律の回らない罵声を浴びせながらボンネットを叩き始める。エドウィンは怖じ気づいてカズマの方を向くと、フロントガラス越しに中指を立てて罵声を返していた。

 ようやくホテルの正面玄関に車を横付けすると、カズマは係員に鍵と多めのチップを渡し車を預けた。この人混みの街中で車を使う機会は恐らくないと、カズマは車係にそう伝えた。

 ホテルのフロントでチェックインを済ませる。この時期のニューオーリンズのホテルは数ヶ月前から埋まってしまい、料金も通常の倍以上の額になるという話だ。そしてパレードが六時から近くで始まるという事を聞き、二人は荷物だけ下ろしてすぐにロビーで合流することにした。

 斜陽に照らされたカナル通りに出ると、車道と歩道の間に鉄のバリケードが敷かれており、歩道側は見渡す限り人で溢れ返っている。交通封鎖された車道を騎馬警官隊の集団が悠々と通る。この通りをパレードの山車が通るらしい。

 カズマは少しでも車道側に近づこうとするが、群衆がバリケード付近で押しくら饅頭状態になっているのを見てすぐに諦める。すれ違う人々は細長いプラスチックグラスに入ったカクテルやら、一リットル大のカップに入ったビールやら煽りながら歩いている。子供さえ何かに酔っているような勢いで人混みの中を無軌道に駆け回っている。四方から叫び声が聞こえ、エドウィンはパニック発作を起こしそうになるのを深呼吸で落ち着かせ、先ほど露店で買ったペットボトルの水に口をつけた。せっかくロイがくれた機会だ、楽しまないとーそんな義理さえ感じていた。

 バリケード付近で甲高い歓声があがった。パレードの先頭が近づいてきたようだ。海兵隊の制服を着たブラスバンドが活気よいリズムで先導し、その後ろに海賊船の形をした山車が続く。山車の上では金髪の美男女がスウィングダンスを踊っている。ブラスバンドは白人と黒人の男女をバランスよく混ぜた編成で、息のあった大小の太鼓の軽快なリズムが群衆を沸かせた。

 続けざまに地元大学のアメフトチームを乗せた山車が通り、ユニフォームにヘルメット姿の選手がボール型の縫いぐるみを群衆にばら撒き、その度に歓声があがる。

「もっとあっち行こう。ここじゃボールもらえねえじゃん」
 カズマはエドウィンのシャツの裾を引っ張って人混みをかき分けていく。

「ボールなんて別に欲しくないです」
「お前、マジで興醒めだなあ。俺だってボールなんていらねえよ」

 カズマは舌打ちし、エドウィンから手を離して一人でずんずんパレードに向かって進んでいく。ここではぐれるのだけはゴメンだ。エドウィンは必死でカズマを追いかけた。するとカズマはちょうど二人分くらいの空きスペースを見つけ、急に立ち止まった。

「エクスキューズミー」
 同じタイミングでそのスペースに入ろうとした女性がぶつかる。大きな麦わら帽を被ったその女性はちょっと不機嫌そうに振り返るがエドウィンと目が合うとにっこりと微笑んだ。エドウィンは向日葵のように快活な笑顔に固まった。細いまぶたの下に窮屈そうに輝く茶色い瞳。腰まで伸びている艶めいた長い黒髪。主張の強い太い眉と厚い唇。肉感的な褐色の身体を覆う黄色のワンピース。

 エドウィンはその眩しさから自分を守るかのようにサングラスをかけた。

「ハッピー・マルディグラ!」
 急にカズマが素っ頓狂な声でその女性に声をかけると、彼女はニコッと笑い同じセリフをおうむ返しした。エドウィンは相変わらず軽薄なカズマに苦笑しつつも、心の中で密かに彼女に話続けてくれる事を願った。

「どこから来たの?」
「ブラジルよ」
「ケリガウ!(クールだね!)」

 どの引き出しに入っていたのかわからないカズマのポルトガル語は彼女を喜ばせたようで、今度は向こうから話しかけてくる。
「あなたはどこから?」
「ニューヨーク」

 女は大げさに驚いて目を丸くし「ケリガウ!」と返した。
「名前はカズマ、よろしく」

 カズマが手を差し出すと女は「フリアナ」と自分の名前を伝え手を握り返した。カズマはやきもきした様子のエドウィンの肩を叩く。

「こいつはエドウィン。東京から」
 フリアナが差し出す小さな手を握るとその柔らかさと温度が心臓まで伝わる。エドウィンは自分の顔が赤くなっていない事を祈る。

「何でこんなところに一人でいるの?」
「仕事までの時間つぶしよ。私、この近くに住んでるの」 

 突然、空から蛙が大量に空から降ってきた。

 慌てて身を屈めたエドウィンは、足元に落下したそれが縫いぐるみだと気づく。フリアナの暖かい目線がスポットライトのように彼を照らした。エドウィンは立ち上がってそのチープなぬいぐるみををフリアナに差し出した。

「オブリガード。『マグノリア』みたいだったわね」

 自分もちょうどその映画を思い出したところだった!が、エドウィンはそんな興奮を口に出す事ができなかった。

 王冠を身に纏った初老のニューオーリンズ市長とその妃役らしい若いミス•ニューオーリンズを乗せた山車が通り過ぎるとパレードは終了を告げる。騎馬警官隊とパトカーが交互に通りを進み始めると群衆は段々に散っていった。目線のすぐ先のバリケード付近では小さな黒人の少年がプラスチックのザリガニのついたネックレスを母親に見せびらかしている。フリアナはビーズや空き缶が転がったカナル通りをどこか哀しげに眺めていた。

「エドウィン、あの娘飲みに誘ってみる?」 
 フリアナに見とれていたエドウィンにカズマの声がかかる。無言で目を瞬かせるエドウィンにしびれを切らし、カズマは続ける。

「あれ?あんまタイプじゃなかった?」
「いや、そう言うわけでも…。でもついて来るわけがないし…」

 エドウィンが答え終わらないうちにカズマがすでにフリアナの元に駆け寄り何か口説いている。瞬間移動でもしたのだろうか。陽気なラテン女に負けないくらいの大げさな身振り手振り。彼女はカズマの言った何かに笑い、二人でエドウィンの方をちらっと見た。そして「オッケー」という声が聞こえた。この旅で初めて期待以上の仕事をしたカズマにエドウィンは心の中でこっそり拍手を送った。

第1話〜第19話はこちら👇


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