そろそろ行動変容に期待する他力本願をやめてシステムで勝負する構造変更にシフトしたらどうよ。
緊急事態宣言21県に。
コロナ禍という呼び方すら所詮生ぬるい日常の幻想だったんだなと痛感するこの頃。医療の提供もロシアンルーレット。今は、本当に戦時なのかもしれない。いかがお過ごしでしょうか。
—
先日からネットを少し騒がせているニュース。
接種率78%「イスラエル」で死亡者増加のなぜ
「集団免疫」の勝利から一転、ロックダウンも
https://toyokeizai.net/articles/-/450304
・・・くっそ重いな。
ワクチン1本足打法の神話は崩れましたのニュース。やっぱりゼロコロナのニュージランドや香港、オーストラリアが正しかったんだなと思わざるを得ない。
相変わらず日本は10歩くらい遅れで、政策はワクチン頼みとお願いベースという祈りのセット打法です。先行きには不安しかない。
ゼロコロナ論は理想だと言われてきたのは、それだと困る既得権者の圧力というのは言うまでもないのだが、今後はそっちのほうが長い目で見れば明確に明るいゴールなんじゃないかとは思う。
色々と探してたら、立憲民主党が実はゼロコロナ掲げてましたね。
https://cdp-japan.jp/covid-19/zero-covid-strategy
内容は、ともかくとしてこれは現政権と全く異なるスタンスの視点だから今後の選挙の時には大いに判断の指標となる御旗であるなと。
—
緊急事態宣言は21県になって、虫食い式にヤバイよヤバイよというメッセージだけでほぼ何の解決の糸口にもなっていない。
これはもう誰の目にも明らか。壊れたロボットのように発信されるスピーチを見ていると、もうその人たちのやり方に異を唱えても無駄なんだろうなと思えてくる。
それに輪をかけて自分まで思考放棄してしまうと、現実逃避のジエンドなので現状の上手く言ってない策を反面教師(ちゃんと活かして)に考えをしていかないとなと思う。もがき考えるのが人間なのでね。
例えば、日本は今、レッドゾーンの拡大にばかり目がいっているが、グリーンゾーンを増やすという視点はどうだろうかと思う。
レッドorグリーンは、コロナが始まった頃医療ゾーンの区分けに使われた言葉だが、これはゼロコロナ論に近い視点だが、現在の社会にも当てはめれると思う。
感染の拡大はたしかに酷いが、まだひどくない地域が21残っているとも捉えれる(緊急事態宣言エリアベースで言えば)現状は、このエリアに飛び火しないようにという施策オンリーだけど、グリーンのエリアを増やす「やり方」もあるはずだ。
現状の法律では難しいけど
・マスク義務化
・県境の移動を制限(パスポート制)
・物流の制限
・ロックダウン制(グリーンになったら隣県で協定を結びセーフティエリアを広げていく)
※ワクチン義務は、さておく
などなどね。
グリーンエリアが増えれば◎だし、人によってはそれがプライオリティになれは地方の価値も高まるかもしれない。
感染が人によるものなら別に手が無いわけじゃなく、現実的にやれてる国があるならそうした未来がゼロではないということです。それを実現できないのは、やっぱり仕組み、そして根っこの既得権の問題なんだと思う。
納得できない権利や損は嫌だという銭ゲバ思想に対しては、まずは垂れ流す無駄な予算や、使いきれてない予算を回してから!とは思う。どこまでいっても日本は債務超過なのだから、もっと積極的な手も打てそうだなとは思うが。
江戸時代のような「関所」は、もう無理と思うけどデジタルを駆使すればそれっぽいこともできるだろうなとは想像できてしまう。入県するにはパスポート提示とか、2週間隔離とか。
2週間隔離とかとんでもないと思ってしまうが、それは「2週間も休めない」とか「2週間収入が得られないと困る」「小さい子どもがいるから」とか「持病の状態が」とか、ある程度そのへん理由な気もするので、ずっと言われてる補償をなんとかできればいいのだと思う。
2週間は長すぎ!と考えてしまうのも、ギチギチのスケジュールで回すしか無い社会の在り方の問題だろうとも思う。
「2週間?ちょっとした静養期間だよね。むしろバカンス気分」くらいファジーになればいいのにね。あとそれをちゃんと社会が容認できるようにするのも大事。
行動変容は聞こえはいいが、言い換えれば「社会構造は変えたくないから、触らないままで、みんなが変わってくれ。」っていう民主主義の象徴みたいな放り投げプラン。
それは半ば失敗に終わってるので、もう社会変容。つまりこれまでの構造を放棄してでも新しい社会の枠組みを作っていかないと、「感染したら感染したときだ」ていう麻痺した切ない割り切りしかできなくなるのじゃないかなと思う。
誰一人犠牲にならないーーー。
SDGsの精神は今こそだと思う。
ごま吉
たしかな満足を(´ε` )