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同性(女)を撮る。

私は、女を撮ることが多い。

同性だから「あなたの写真を撮りたい」とオファーを出しやすいという側面が一番大きかもしれないが、女性特有の身体性、やわらかさ、曲線美というものは、男性のそれとは一線を画していると思っている。

女性は、人生のいくつかのタイミングで自身の身体と正面から向き合わなければいけない時がある。それは女性の人生のタイミングと言っても違わないだろう。

結婚、出産、あるいは肌の調子が著しく変化する20代なかば、そして歳の区切りとしての30歳という境目。

私もそうなのだが、そういった節目には自分を撮っておきたいと思うことがある。

綺麗な状態の時の自分を永遠に写真として保存しておきたいという本能なのかもしれない。

いや、やはり女性には「綺麗でありたい」というコードが埋め込まれているのだ。

こんなことを時折彼氏にも話すのだが、彼にはどうやら響かないらしい。

彼にとって女性とは「綺麗」であることが女性という条件になっているようだ。彼の世界には、「劣化する女性」が存在しない。

私を含め、彼の歴代の彼女は相当苦労しただろう。なんせ明らかな劣化を許されていないのだから。

このようにかくとなんて非道な彼氏なんだと思われてしまうが、彼自身も「男は劣化したら終わり」と、そこらの女性以上には美容や健康に気を使う美男子で、自身にも非常に厳しい。いや、本当に美しい男なんだ、彼は。

そんな彼を私は撮りたいが、彼は許してくれないからこうやって外に撮りに行く。同性を撮りに行く。




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