書けないバースプラン
入院後に先生からこれからのことについて話があった。
まず再度言われたが、ここから先はいつ出産してもいいように準備をしつつ、赤ちゃんにブーストをかける。
(肺や脳の成長を促す注射や点滴もその一環)
そして、出産後のこと。
まず、先生に言われたのは25週をどうにか目指そうと言われた。
25週未満で生まれた子は生存率がとても低い。
できれば25週まで行ってくれれば、生存率は大幅にアップする。
可能な限り、正期産に近づけたいが、先生の見立てだと厳しいかもとのことだった。
そして、早産で生まれた子はNICU(新生児集中治療管理室)にてケアを行うとのことだ。
先生の話の後は言われたことについて考えていた。
我が子にはとても申し訳ない気持ちだった。
こんなに早く事態が急変するとは...
この時の検査では赤ちゃんは大体600gくらいと言われた。
600gどれくらい小さいのか想像がつかなかった。
こんなに早く生まれてしまうとは...
我が子は、無事に生まれてこれるのか...
生まれてもちゃんと育ってくれるのであろうか...
重大な病気や障害はないのであろうか...
考え事をしていたら、担当の看護師さんが病院内のことや、1日のスケジュールなどを説明しにきてくれた。
その後に、病院が妊婦さんに配っている出産準備ノートみたいなものをもらった。
同じように出産バッグというものもいただいた。
産褥パッドや母乳パッドなどいろいろ出産後に役に立つものが入っていた。
「一番大事なのがここです。」
看護師さんが指差したところには【バースプラン】と書かれていた。
まだまだバースプランを考える時間はあると思っていた。
いろいろとSNSやネットや先輩のママたちに聞こうかと思っていたのに。
もう書かなくてはいけないのか。
よっぽど困った顔をしていたのだろう。
「大丈夫。思ったままやりたいことを書いてくれればいいし、わからないところは聞いてくれれば大丈夫。私たちは全力でできることをサポートします。」
そうは言われても、何を書いていいかわからない。
そして、書くことがとても困難であった。
点滴の影響でまたしても震えが止まらず、ガタガタの文字であったが
「何かあった時は、絶対に子供を優先してほしい」
「生まれた子に余裕があれば写真を撮ってほしい。」
「可能であれば旦那と生まれてきた子を会わせてあげて欲しい。」
とかいた。
バースプランを書いたノートは今でも手元に置いてある。
今読み返すとガタガタの文字で、本当に何が書いてあるか、よく看護師さんたちが解読できたと思う。
いつ生まれてもいいように、早めに書いた方がいいと思ったが、
まさか入院した初日にすごいことになるとは思わなかった。