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超えなきゃいけない22週と25週の壁

入院してすぐ、先生に言われた言葉がある。
「22週の壁を越えましょう。そこからは私たちが全力でどうなろうとサポートできます。」と。

22週の壁とはどういうこと?

実は22週より前に出産してしまうと、必然的に流産となってしまう。
NICUでも22週前より早く生まれてしまうと、入れないと言われた。

私は入院した時点で20週と3日であった。

先生にはまずは22週を目指しましょうと言われた。
ちなみに病院としては26週以上経っていないと病院の設備的に厳しいとのことだった。
念の為、転院も視野に入れて様子を見ていきましょうとのことだった。

とにかく、1日でも長くお腹に我が子を留めておきたく安静に、
安静に過ごした。
ほぼトイレと検査以外では立ち上がらなかった。
そもそも、部屋以外の場所に行くのは禁止と言われたので出歩けなかったし、
出歩こうにも点滴が4本もつながっていたので、点滴棒を2つ持って外に行くのは無理だったので、外にはどの道出れなかった。

そして、一番きつかったのはコロナ禍の「面会禁止」のルールであった。

妊娠中はホルモンも相まって、とてもナーバスであった。
術後もどうなのか自分では確認ができず、病室も個室であったため、
人と話す機会がほぼなく、不安を吐き出すアウトレットがなかった。

旦那も父も友人も昼は通常通り仕事をしているし、
母は外国住まいで時差の関係で朝しか連絡がつかない。

とても辛かった。
一度だけ、検査に行く途中で旦那が荷物を届けてくれたことがあった。
看護師さんの計らいで、出入り口の近くを車椅子で通ってくてたのだが、
旦那の姿を見た瞬間号泣してしまった。

旦那も看護師さんも私がいきなり泣き出したので、オロオロしてしまった。
スマホやタブレットで顔を見て話そうと思えばいくらでも話せたが、
やはり寂しいと余計に感じてしまった。

夜は余計に寂しかったのを覚えている。
旦那も気を遣って仕事終わりに一緒に食事をするタイミングを見計らってビデオ通話をしてくれた。
ありがたいことに仕事終わりの友人たちも私が退屈しないようにと、ビデオ通話や、メッセージをちょくちょく送ってくれた。

そんなこんなで、21週を過ごし、22週を迎えた。


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