コンプレックスにさよなら
先日、ふと夫に「娘が整形したいと言ったらどうする?」と聞いてみた。
彼は、「反対はしないがお金は自分で工面すること。ただ、整形しなくてもそのままでかわいいことは伝える」と言った。
娘は2歳だ。
それでもわたしの最近の興味関心は、若者たちの憧れる容姿になるための行動である。
2000年初旬のおませガール
小学生の頃のわたしのコンプレックスは二重になりそうでならない中途半端な奥二重と、団子鼻だった。シンクロナイズトスイミングの選手がしている鼻栓をしておけば、もしかして鼻がシュっとなるかも・・?と家にあった洗濯ばさみで代用してみたものの、痛くて痛くて断念してみたり、当時流行っていた「アイプチ」を真似して家にあったスティックのりを瞼にくっつけて二重にできないか試行錯誤してみたりあらゆる手段でコンプレックスを解消を試みた。
そして、徐々にあこがれの対象は当時のわたしの年齢から少し背伸びをした、いわゆる若者の流行やファッションリーダーへと移行した。
浜崎あゆみのしっぽをつけてみたい、パッチリな目にキラキラのメイク、髪の毛も染めて金髪にしてみたい。ヒョウ柄の洋服に厚底ブーツを履いてみたい、109で買い物をしてみたい。ポケベルや携帯電話が欲しい。
新世代のあこがれとは
先日、友人とその子どもと久しぶりに会った。10歳のその子に最近は誰が好きなのー?と聞くと原宿のなんとかってお店のなんとかちゃんが好きでお店にいつもいるから会いに行きたいとインスタを見せてくれた。
聞いた名前は記憶できず、今もなお全く思い出せず、これがジェネレーションギャップかと思うと同時に、毎日Xやインスタグラムをチェックしてtiktokを覗いていても全く流行をキャッチできていないミドサーと、トレンドの移り変わりを膨大な情報量の中から探し、毎日向き合っている若者たちのアンテナの張り方は別の生物なのではと感心するほどだ。
手の届かない「あこがれ」
浜崎あゆみにあこがれていたわたしたちは、「手の届かないあこがれ」をテレビ画面越しに眺めるだけで、近づくための手段を探せずにいつの間にか断念してしまっていたように思う。
当時はそれが当たり前で、容易に「会いに行ける存在」ではなかったのだ。
原宿のなんとかちゃんにあこがれている彼女に対し、その手の中にある小さな機械の中で容易に手段が見つけられることがうらやましくもあり、手の届かない「あこがれ」にドキドキわくわく一喜一憂できる時間もなかなか良きものだったよと伝えた。
かつては、浜崎あゆみに近づきたいとファッション雑誌を手にメイクを研究していた平成女児だったわたしは、あこがれだったぱっちりとした目に近づくための必要なお金も手段も手にしている。
SNSではアイドルやインフルエンサーが自分の使っている一軍コスメを紹介し、どんなメイクをすれば近づけるのかをレクチャーする動画があふれているし美容整形のハードルも昔に比べ よりがっている気がする。
浜崎あゆみはあの頃のわたしのあこがれであり、同じような顔になりたくとも手の届かない存在だった。
10年後、娘は何に憧れて、あこがれに近づくためにどんな手段があるのか、わたしはそのとき何を伝えられるのか考えながら、2歳児の柔らかい前髪を撫でるのであった。