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マイティボンジャック【マスメディアの誘導と失敗】

テクモ 1986年4月24日発売

テクモ(旧テーカン)参入第一弾ソフト。原作は1984年発表のAC版「ボンジャック」なのですが、固定画面のアクション物から任意スクロール型アクションにグレードアップしています。

発売前から雑誌で特集が組まれるなど「スーパーマリオの次はこれだ」的な期待を以て迎えられたタイトルでした。が、蓋を開けてみれば足許にも及ばず「ゲームセンターCX」で取り上げられるまで歴史の闇に葬られていた感のある作品となっていました。

斬新で良好な操作性。変化に富んだステージ構成。美しいグラフィックス。また、良いものを作ろうとする意欲も感じられる作品ではあります。

しかし、ゲーム進行に関わる根幹部分を理不尽とも云える「隠し要素」に組み込んでしまったのは大きな失敗だったと云えるでしょう。

それ以上の過失は敵キャラクターの性質ですね。

原作からの性質をそのまま引き継いだ敵キャラクター達は、一定時間経つ事で別のキャラクターへと変身して行きます。これ自体が悪い事ではないのですが、大概が空中移動可能な性質を持っている為に、自機に安全地帯を作らせないと云う特徴を有してしまいました。

私はリアルタイムのアクションゲームに於いても、自機が敵に攻撃されない安全地帯が絶対必要だと思っています。それは指と頭を休める為の意味がありますし、次の行動へ移る為のクッション材、若しくは演出の「溜め」になると考えるからです。

安全地帯とは云っても永久パターンを誘発するような意味合いではなく、ただ敵が出現しない場所、敵が攻めて来られない場所であれば良いのです。

例えば「スーパーマリオ」で土管を挟んで存在していたノコノコが、急にゲッソーに変身して攻めて来るアルゴリズムを持っていたとしたらどうでしょう? 忙しなさすぎやしませんか。しかも、そのゲッソーは踏ん付けて倒す事が出来ず、触れただけで即ミスとなってしまうのです。

マイティボンジャックとは正しくそのようなゲームとなってしまっているのです。

ゲーム内容がステージに多く配置してある宝箱を空けながら進むプロセスを余儀なくしているのに、アイテム入手と云う楽しささえも感じさせない忙しさで敵が攻めて来ると云うのは厳しすぎると感じます。

この部分さえもう少し考慮されていたならば、スーパーマリオを凌ぐ事は無理だったにせよ、一太刀浴びせられる程度の好作品になったのではないかと残念に思えてしまいます。

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