書き言葉と話し言葉とエッセイ
十数年ぶりに調べた。書き言葉と話し言葉。
調べたけれど、あまりよくわからなかった。
これを書くにあたり色んな記事を見たけれど、ブログとは違うから話し言葉で綴っている人はあまり見かけられなかった。みんなこんな感じの文体で書いていた。なるほど。これがエッセイ。オデッセイと語感が似ているなあと思った。〇〇と思った、はセーフ?作文?作文とエッセイの違いって何?わたしには文体の種類がわからぬ。激怒はしていないし傍若無人な王様はいないけれど、身代わりになってくれた友だちを助走をつけ腕を振りかぶり殴る根性なんてないけれど、なんてったってわからぬ。
そもそも、エッセイとは何なのか。
エッセイの意味を調べてみた。
Oxford Languageによると『自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。特殊の主題に関する試論。小論。』なるほど。
随筆と聞いて1番初めに思い浮かぶのは、清少納言の枕草子である。「である」を使うの、少し恥ずかしいのである。そんなことはどうでも良くて、枕草子、なるほどね。春は夜明けが良いよね、だんだん白くなっていく山と接してる空が紫がかって、細くたなびいて、めちゃくちゃいい感じ。有名な「春はあけぼの~」をしぬほど雑に訳すとこんな感じだろうか。なるほどこれは『自由』で『気軽』な『自分の意見』。
エッセイがなんなのか、少しわかった気がした。
では、エッセイを書く意味とは何だろうか。
ブログでは駄目だったのか。
エッセイには、私生活や思想が綴られていることがほとんどのように思う。いや、それらを綴っているものをエッセイと呼ぶのか?エッセイがなんなのか少しわかった気がしたのは嘘だ。わからぬ。たった数行で嘘をついてしまった。
何も別に全ての書き物に対して書く意味とは何か、と疑問を感じているわけでない。
例えば小説は、作者の頭の中にしか存在しない物語をその他大勢に共有できる。他人の感情を動かすことができる。空想の物語なら、何者にだってなれるし何だってできる。
それならエッセイは?自分の意見を述べた文。私生活を切り取ったものも多い。自分は自分であり、自分が出来ること行ったこと、思ったことを綴る。他人が目を引くような生活を送る人間が、他人を惹き付ける思考を持つ人間が、この世にどのくらい存在するのだろう。書く意味を知りたいというよりは、書いている人のマインドを知りたい。知るためには、実践しなければならない。
エッセイがなんなのか結局これっぽっちもわからないけれど、徒然なるままに、何にカテゴライズされるのかもわからない文章を書いていってみようとおもう。