推しと出会って私は
田舎の女子高生が、東京で働く社会人になるまで
この7年間、私を支えてくれたのは間違いなく彼女達の存在である。
高校3年生の頃、たまたま見かけたYouTubeで名前を知ったその5人組アイドルグループは、大好きだった朝ドラあまちゃんの「暦の上ではディセンバー」を歌っていた「ベイビーレイズ」というアイドルだった。
今となっては大事な受験期になぜYouTubeを見ていたのかと問い詰めたいが、この子達に出会えたことを心の底からラッキーだったと思う。
「デビューから2年以内に武道館公演できなければ解散」
その公約の下活動していた彼女達。
私が出会ったのはその公約を無事果たし、武道館公演のチケットを売り出すぞ、という時期だった。
受験を控えた私は(どうせ最初から武道館決まってたでしょ、いいなあアイドルは〜将来が決まってて〜)とかなりやさぐれていたのを覚えている。
それからなんだかんだで関連動画を見漁ってしまい彼女達の2年間を追い尽くした私は、すっかり5人の虜だった。
最初からすごく「この子達が好きだ!!!」と思った記憶はないのに、なんであの時公式から出た動画を一気に全部見たんだろう。
どうせ最初から決まってたでしょ、と思ってた武道館公演は彼女達の努力で掴んだものであることを知って、ひたすら頑張る姿に共感したのかもしれない。
その頃の私はアイドルに詳しかったわけでもなかったので理屈で魅力を説明できなかったけれど、なんかこの5人めっちゃ良いな!!受験終わって東京行ったらライブとか握手会に行ってみたいなあ〜と思っていた。
(武道館公演はセンター試験の直前だったし1人で東京へライブを観に行く、というのが当時の私には選択肢にもなかった気がする。)
そして私は受験を終え、某大学への進学が決まった。
初めての一人暮らし、よくわからない履修登録、誰も知り合いがいない環境。大学1年生の4月は正直受験期より心が辛かった気がする。
やりたいバイトがあって「首都圏に出る」ことだけを目的に進学した当時の私は、ただ人数が多くて友達ができそうなサークルの新歓に行く、というのを毎日繰り返していた。
今はどうかわからないけど、当時のあの大学の新歓は毎日なぜかどこのサークルもサイゼで先輩と新入生とお話しする、というのが流れだった。
その日もあまり何も考えずにアカペラサークルの新歓に行った私は、そこで運命の出会いを果たすことになる。
向かいの席に座った同じ新入生の男の子が、「アイドルオタクの友達のせいで知らないアイドルのライブに連れてかれる」という話を始めた。
隣にいた先輩がなんていうアイドル?と聞く。
男の子が、なんだっけな、多分知らないと思いますよと答える。
スマホを開いてLINEを確認した男の子が口にしたのは、
「『ベイビーレイズ』っていうらしいっす」
「出会えた!!!!!!!」と思ったのを覚えている。
地元にはいなかった、ベビレを知ってる人がいるんだ!!!東京すごい!!!(東京ではない)
とにかく嬉しくなった私は初めて会ったその男の子に私もライブに連れて行って欲しいと頼んだ。
今思えば自分1人で行けば良いのになぜその子に一緒に連れて行って欲しいと頼んだのか、初対面の人にいきなりなんなのか、自分が心配になる。
ベビレのライブに初めて行ったきっかけはこれだった。
2015年5月22日金曜日の新宿ReNY
初めて生で見る5人は、とてつもなく顔が良かった。
(本当に最低なのだが、私はその時一緒に行ってくれた男の子の顔も名前も覚えていない。その子はアカペラサークルに入らなかったしベビレにハマったわけでもなさそうだったので、彼はただただ私をベビレの沼につなげてくれた恩人である)
そこからはちょこちょこ行けるイベントに行きつつ、自分のペースでベビレを応援していた。
私が最初に直面したのは「推しメン」問題である。
握手会も、チェキ会も、グループみんなと会えるレギュレーションもあるけど基本的には「推しメン」1人のところに行くのが普通である。
CDを買って初めて取ったツーショットチェキ券、誰を選ぶのか…これはかなり悩んだ。
全員のことがめちゃめちゃ好きだったし、仲良しごっこじゃない、戦友としてグループでいてくれる5人のことが好きだったからである。
林愛夏(はやしまなつ)ちゃん。
圧倒的歌唱力でグループのセンター。
金髪でキラキラのルックスとは裏腹に真面目で引っ込み思案な性格。
私の一個歳上。
私は愛夏のチェキレーンに並んだ。
お互いディズニーが好きだったし、その話ができたら良いな〜!程度の軽い気持ちだった。のだ。当時は。笑
愛夏は本当に可愛くて真面目で丁寧で、人間として尊敬できる人だ。
もちろん私はオタク側としてアイドルをしている彼女しか知らないけれど、彼女が見せてくれる「アイドルの林愛夏」は本当に輝いていて、力強くて、見ているだけで私も頑張ろうという気持ちにさせてくれた。
ライブで顔が真っ赤になりながらも全力でパフォーマンスしているところも、
MCでぽやぽやしててあんまり聞いていないような顔をしているところも、
握手会のブースに入った瞬間もともとデカすぎる瞳をぱっと開いて来てくれたんだ!と言ってくれるところも、
言い出したらキリがないけれど、本当に本当に好きになってしまった。
私は大学に入ってから、家賃も生活費も奨学金とバイト代だけでやりくりしていた。
とにかくお金が必要でバイトを3個掛け持ちしていたこともあった。
アイドルオタクをするのは結構お金が必要である。
大学生らしく勉強しろよとも思うけど、その頃はなんかオタクに必死だったのである。
とにかくバイトしてギリ生き延びてCD買ってベビレに、愛夏に会いに行く
これが私の幸せだった。
思えば大学では人間関係のいざこざが異常に多かったし、良く退学しなかったな!?と思うこともあったが、とにかくベビレを応援するためには東京に残らないといけないという意地と根性で大学に残りしぶとくバイトをして生きていたと思う。(東京ではない)
ベビレの曲は『まだここで諦めるな』みたいな(超意訳)応援歌が多くて、心が折れそうな時に聴いて何回も勇気をもらって頑張れた。
同年齢の女の子達が、厳しいアイドル界を強く生き抜く。何回も諦めるな立ち向かえと伝えてくれる。それが私にとって本当に支えだった。
一体何回ライブに行ったんだろう
一体何回握手したんだろう
一体何回リプを送ったんだろう
初めてライブに行った2015年5月22日から
解散ライブの2018年9月24日まで
私の生活はベビレを中心に回っていた。
最初は1人だった現場も、だんだん知り合いができた。
きっと普通に生きていたら出会わないような歳も環境も違う人たちと関わる機会は私にはかなり刺激的だった。
アイドルを推すっていう行為と趣味ってスタンスが人それぞれだし、そもそも人間ってマジで色んな人がいる。正直そんなに思い出したくない記憶もある。
でもそういう経験も含めて、良い社会勉強だったな…と今なら言えるかもしれない。
生誕委員をやらせてもらえたのも本当に良い経験だった。
今はお互い違うオタク人生を歩んでいるオタク、TLでも見かけなくなったオタク、どこかで元気にしていて欲しい。あの頃は毎週のように見かけていたのにそういえば本名も知らないのおもしろくて少し切ない。
最近も会ってくれる各位、本当に大好きです。いつもありがとうございます!LOVE!
ベビレが解散を発表したのは、私が大学4年生の夏だった。
バイトの休憩中にTwitterのタイムラインで
「ふゆちゃんが泣いちゃう」
というツイートを見て嫌な予感がしたのを覚えている。
ベビレに天下を取って欲しかった
本気で天下を取れる存在だった
就活もなんとか終わって、これからベビレにもっと時間とお金を使っていこうと決意していた矢先だった。
ベビレのような実力のある、ズルせず6年も努力し続けて来た子達が、目標に届かず解散する。
勿体なさすぎて悔しくて悔しくて毎日夜寝る前布団の中で泣いた。
ベビレのライブがもう生涯見れないこと
この現実が本当に辛かった。
ぐるぐると気持ちの整理がつかないまま、私はベビレラストライブの会場山中湖にいた。
5時間越えのラストライブ
オタクたちにはわからない辛いことも苦しいこともきっと数えきれないほどあっただろうに、彼女達はそれを一切表に出さずに私たちへの応援歌を歌い続けた。
あっという間の時間だった。
一曲一曲すべてが最後なのがつらくて、でも1秒も見逃したくなくて、本編は確か全部泣かずに観ていた。
5人で6年間最初から最後まで綺麗に咲き続けて、ベイビーレイズJAPANはアイドル界を去っていった。
それから、頭では解散を分かっていながらもその事実を飲み込むのに3年間かかった。
ベビレに会いたいと毎日ツイートして、ラストライブの円盤を見ることができないままの日々を過ごした。
社会人になって営業職に就いて、本当に辛い時にだけベビレの曲を聴いた。
解散後のメンバーはそれぞれ芸能活動を続けたり、芸能界を引退した。
私が大学生から社会人になっていったのも、メンバー達が新しい道を選んで進み始めたのも、一つ一つベビレの残した足跡が消えていくみたいで寂しかった。
愛夏は解散後、ミュージカル女優の道へ進んだ。
愛夏さんは元劇団四季の子役だった。
アイドル時代からミュージカル女優になりたいとずっと言っていたし、そうするだろうと全オタクが思っていたと思う。
愛夏が出る舞台には気が向いた現場だけに行った。
アイドル時代は行ける現場は全て行っていたけど、舞台っていう単価もあって現場数は減っていった。
アイドルじゃない推し。
でも夢を叶える推し。
アイドルの彼女が大好きだった気持ちはずっとずっと強くて、少し寂しいと思ってしまっている自分がやるせなくて、でも愛夏が自分の夢を叶えてて嬉しい可愛い歌上手い大好き、、というクソデカ感情がぐるぐるしていた。
2021年秋、愛夏のストーリーに、演者仲間と行ったのか稽古終わりのサイゼでの写真が載った。
あら〜愛夏ちゃまサイゼなんて行くのぉ〜!?かわいいねえ〜!!!!と仕事の疲れが吹っ飛んでいつも通りニヤニヤしていたが、あるものに目が留まった。
愛夏の右腕。見覚えのあるヘアゴム。
3年前解散ライブの日に私がプレゼントボックスに入れたヘアゴム。2,000円ちょいの、当時お金がなかった私が自分とお揃いで愛夏に大宮のマルイで買ったマリクワのヘアゴム。解散ライブ後もっと髪を伸ばすだろうなと思って買ったヘアゴム。
愛夏がそれを3年も持っていてくれた、その事実にはちゃめちゃ泣いた。
自分でいくらでも好きなものを買えるだろうに、ヘアゴムなんて消耗品なのに、オタクにもらったものを何年も取っておいて使ってくれる愛夏が愛おしすぎて胸が苦しくなった。
愛夏は解散後あまりベビレの話をしなかったし、夢に向かって頑張ると前を向いてくれていたから、アイドル時代は愛夏にとって思い出したくない過去なんじゃないかと思って勝手に私が拗ねてしまっていた。
でも違った。
愛夏はずっと愛夏のまま、私が好きになった優しくて真面目でちょっと抜けてる愛夏のままでいてくれたのに、私が気付けなくて変わってしまっていただけだった。
私はこの時に改めて、ああ生涯この人が歩んでいく道をずっと応援していこうと思った。
2021年年末のイベントで、愛夏が事務所を退社することを発表した。
事務所の人からも愛されて惜しまれながらも送り出される推しを見て、やっぱり大好きだな 自分もこういう人間になりたいな そう思える人が推しで幸せすぎるなと思った。
そして2022年1月1日
劇団四季への入団。
少し察してはいたけれど、元々四季が好きでよく観に行っていたので、本当に本当に本当に嬉しくてお正月から祭りだった。
今はSNSの更新もほぼ無くなってしまったけど、愛夏が夢を叶えるためにひたすら努力しているなら私もまた社会人として頑張れる。
愛夏がいつか四季のディズニーミュージカルでプリンセス役になるかもしれない。それをこの目で見るまで、私はどんなことがあっても乗り越えられる気がする。
初めて行ったリリイベ、イクスピアリでウロウロしてたら知らんおじさんが握手券をくれたこと
灼熱のお台場スマイルガーデン、場所取りで隣のおじさんとバチバチしたこと 長時間炎天下でトイレ我慢して膀胱炎になったこと
女子限定ライブ、新宿LOFTで上手端にいた私を見つけてくれたこと その後初めておつかレイズって口にしたこと
就活に悩んでいた時、大人のオタク達がいっぱいリプくれて相談に乗ってくれたこと
大崎ブライトコアホールの特典会は異様な空気があってすごく嫌いだったこと
名古屋まで遠征した握手会でメンバーみんなから名前を呼ばれて嬉しかったこと
アトジャの女限エリアではしゃぎすぎて爆レスをもらったはずなのにどういうレスだったのか今記憶にないこと
解散発表後初の現場、豪雨の中のステージを終えた時にオタクがみんな泣いていたこと
最後までSEのクラップが合わなかったこと
楽しかったことも嬉しかったことも
本当に色んな思い出を5人がくれた。
"全部抱きしめてまた続く終わらない物語"
この曲のこの歌詞の意味がちゃんと飲み込めたことで、私はやっと前に進めた気がした。
愛夏へ
私たちお互いに普通に大人になってしまったけど、ずっと私の憧れでいてくれてありがとう。
あなたがアイドルの道を選んでくれたから、あなたに出会えました。
あなたが女優の道に進んだから、これからの楽しみができました。
これからも愛夏が選んで歩む道を応援します。
これからもずっとずっと愛夏とベビレのことが大好きです。