熱血教師って本当にすごいよねって話
教員になって悩むことがある。
それは生徒にどれだけの熱量で関わるか、である。
サラリーマン時代は、後輩たちはあくまで仕事の後輩であって、
その人のマインドや考え方、取り組み方が私と違っても、
仕事がちゃんとできているのであれば、お客さまに迷惑がかかっていないのであれば見逃していた。
それ以外のところでは、損をするのは本人だし、業務さえちゃんとやってくれればそれでよいと思っていた。
しかし、教員それではだめなのかもしれない。
生徒から「先生ってめちゃくちゃドライだよね」と言われてしまった。
私は自分の授業でどれだけ寝ていようが、別の事をしていようが、
他の生徒に迷惑をかけていなければ見逃していた。
いわゆる平常点はあげられないけど、テストの点数がちゃんととれていれば単位はあげるよ。最高評価にはならないかもしれないけど、
自分がそれでよければいいよ。
と伝えていた。
社会人はそれが当たり前だろう。
人の勤務態度をとやかく言うほどの暇もなく、
その人がどのような見られ方をしていても自分には関係ないと思っていた。
営業時代は、どこで何しているのかわからない先輩も成果を出していればそれだけの報酬と評価を得ていたし、逆に数字が作れない社員は違う場面で評価を作らなければならなかった。
愛想がよくなければ第一印象はよくないし、第一印象で人の印象の55%が決まるとも言われている。
印象の良くない(かわいくない後輩)ものには仕事は回ってきづらくなるし、結果損をするのは自分だ。
大人になってから気づくのでは遅い。今の段階で気づけるようにとの思いでそのようなことを伝えていたのだが、どうやらそれはただの放任らしい。
しかし、眠い授業をしているのは私なわけで、
寝るな!!
と押し付けるのもなあ
というスパイラルに陥っている。
もちろん大人になってからも眠い会議は存在する(信じられないくらいに)
今はその時に寝ないための訓練だ!!と押し切ってもいいのだが、どうも自分の中で腹落ちしない。
社会人時代の経験をどうしたらより伝えられるのか
それが見つけられれば
生徒への熱量や関わり方がわかってくるのかもしれない。
熱血教師は学生時代は鬱陶しいなあと思っていたのだが、
今になると、
それだけの熱量で生徒と関われるのはある種の才能だなあと感じている。
さて才能のない自分はどのように努力していこうか。