メッセージ
忘れられない経験があります。
初めて、よく知っている人を亡くしたのは、母方の祖父でした。
祖父は岩手に住んでいたので、そんなにしょっちゅう会っているわけではなかったけれど、私が生まれたときにはすでに父方の祖父母は他界していたので、わたしにとってのおじいちゃんはこの母方の祖父のみでした。
寡黙だけれどとっても優しい。でも威厳もあって、幼い私にはちょっと近寄りがたいような、そんな雰囲気のある人でした。
わたしが大学に入学した年の夏に祖父の葬儀が行われました。
葬儀の後は親族のみんなで祖父母の家に泊まったと思います。詳しいことは断片的にしか覚えていませんが、とにかくわたしは知っている人の死というものが初めてのことだったので、おじいちゃんはどこに行ったんだろう、と考えれば考えるほどよくわからなくなって、自分の感情がうまく整理できなくて、涙は出るわ身体の内側がぐるぐるして突然気持ち悪くなるわで、とにかくうまく対処できなかったことを覚えています。
そんな中、気持ちを鎮めるというか、ひとりでふらふらしたくて、祖父母の家を出て近辺を散歩に出たタイミングがありました。
そんなに広いエリアではないので行く先は限られていますが、あるバス通りの坂を通りかかったとき、道路沿いに掲示されていた一枚のポスターが目に入りました。市街地に出ても映画館は無かった町なので、おそらく近所の公民館的な施設で追いかけ上映するものだったのでしょうか、とにかくその年に公開されていた名探偵コナンの映画のポスターです。
コナンかあ、という認識よりも先にまず、
「待ってろ…絶対、また逢えっから…」
この言葉が飛び込んできたのです。
わたしは動揺し、驚き、涙があふれました。
これは、混乱しているわたしに祖父が送ってきたんだ、と即座に感じました。わたしのど真ん中にこのメッセージが届いた感覚を今でも鮮明に覚えています。
ちなみにこれは「名探偵コナン ベイカー街の亡霊」という劇場公開映画のポスターで、上記の言葉は映画のキャッチコピーです。映画は4月公開だったけれど田舎町での追いかけ上映だから当時8月のタイミングでここにあった、ということは理屈として成り立ちます。これがもし誰かが創ったアート作品や手紙、落書きなどの唯一無二のアウトプットだったら、わたしがそれを見て自分に都合のよいように解釈したのかも、となるところですが、こんなにも大衆的な印刷物にダイレクトに書かれた言葉でアプローチしてきたので疑いようもなく、不思議だなあとも感じるのをすっとばして、すとんと腑に落ちたのでした。
この出来事があってからわたしはその後の人生で、様々なタイミングに様々なかたちで働きかけてくるメッセージを受け取りやすくなった気がしています。メッセージを察知する感覚が研ぎ澄まされたというか。
ちなみに、書きようがないのでメッセージと呼んでいますが、わたしはそれを霊感だとか見えないチカラだとかのマターで片づけるつもりはまったくないのです。
先の件も、祖父から励まされた!と当時のわたしは受け取り、結果としてそれに癒されたのですが、顕在意識を使ってはアクセスできないところから情報を引き出すことができた経験のひとつ、と今はそう認識しています。