日々のトレーニングの話 高齢化社会のなかで
毎朝のランニングとか、筋トレとか、フィジカルの話ではなく、脳のトレーニングの話です。
5年ほど訓練していることがあって、それは、「(極力)カタカナを使わない」です。カタカナ英語を乱用しても大丈夫な人を除き、できるだけ使わずに会話するようにしています。
(フィジカルって書いちゃってるけど!)
講座やイベントで使う資料も「12歳でも90歳でも理解できる」を基準にして、分かりやすい言葉を選択。もちろん、カタカナの方が伝わる単語もあるので、そこは臨機応変に。
しかし、これがなかなか難しい!
「ああ、使っちゃった!伝わってないな」とうっかりすることも多々あり。頭のなかで適当な言葉につねに置き換えをするので、夜には脳が疲れきっています。
さらに、イベントでたくさんの人が登壇するときは、他人の資料と比べて「私の資料、稚拙だと思われてるんだろうな…」と凹んだりも。(自分で決めたルールを勝手に守って勝手に凹む…)
そして、最近もう一つ取り組み始めたトレーニングが、「街中ですれ違う90代の女性を見たときに、それは将来の自分の姿なんだと想像する」です。
みんないつかは高齢者になります。なんとなくは分かっているけれど、曲がった腰でカートを押しながらのろのろと歩く90歳のおばあちゃんから「これが、あなたの50年後の姿なのよ」と言われたらどうでしょう?
「いや、私はもっとピンとして元気でいられるはず」と思うでしょうか。
「私はもうとっくに死んでるはず」と思うでしょうか。
2人にひとりが90代まで生きる現代。若い人たちも、私と同年代の人たちも、誰しもが高齢者になるのに、その過程には「もや」がかかっている気がしています。
「ごめんね、ゆっくりで」と言いながら、レジでお財布から小銭を探すおばあちゃんや、駅の電光掲示板を途方に暮れながら眺めるおじいちゃん、そんな姿を見かけたとき、自分の将来の姿と重ね合わせてみるのです。
経験していないことを自分事として想像するには限界があるけれど、日々意識することで見えてくることもあるはずと、考えています。
本当に難しいことなんだけども…。
積み重ね。積み重ね。
BABAlab 桑原静(くわはらしずか)
「長生きするのも悪くない」と思える仕組みをつくる
http://baba-lab.net