栄養が偏らないように気をつけるのですよ。
私が三十代前半の頃の話です。
実家に帰省していたある日、私はふと立ち寄った靴屋で見かけたスニーカーに一目惚れをしました。カーテンを引いて暗くした部屋に独りこもり「誰にも渡さないよぉ、ワシの愛しいしと」と、スニーカーを賞でる自分の姿が容易に想像できるほどの、魔性を秘めたスニーカーとの出会いでした。
しかし、とても気に入って買ったはずのスニーカーですが、私は迂闊にも実家に置き忘れて帰ってきてしまいました。それに気がつくと、すぐさま実家に電話し、母にお願いして宅急便で送ってもらうことになりました。
後日、届いた段ボールを開けると、そこには変わり果てた姿の「愛しいしと」が......。買ったばかりのアディダスのスニーカーは、右足にマヨネーズ、左足にメープルシロップのボトルが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれており、そんな物を無理矢理詰めれたせいで、スニーカーの横幅は有り得ないぐらいパンパンに膨らんで、変形していたのです。
「ババァ、ヘッドロック喰らわすぞ!?」
段ボールに入っていた手紙にはこんなことが書かれていました。
「隙間がもったいないので、調味料を入れておきましたよ。栄養が偏らないように、食べ物には気をつけるのですよ。母より」
アホかぁ!? こんな糖分とコレステロールの塊を送りつけておいて、栄養バランスもクソもあるか!しかも、スニーカーのなかは「隙間」じゃねぇ! ザケンな、ババァ!
三十を過ぎたイイ大人になったはずの自分を、一瞬だけ少年だったあの頃に戻らせてしまう、母の「お節介」という名の魔術。たとえいくつになろうとも、母にとっての私はいつまでも子供であり、それに抗うことはできない。そんなことを思い知らされたあの日の出来事を、私は今でも忘れることができません。
(ラジオネーム:チェストソング1号 東京都・男性・39歳)
✔️ライムスター宇多丸による書き下ろしコメント
この「もったいないから何々しといたわよ」って、母親が子供にやく過剰なお節介のなかでも、かなり定番の理屈ですよね。で、結果として、子供にしてみたら肝心の部分が台無しになっちゃったりして、むしろホントにもったいないことになったりもしがち。
特に、このケースにおけるスニーカーのように、こちらにとって単なる実利を超えた意味を持つ「趣味」の領域と、お母さんならではの身もフタもなく発達した経済観念とは、まさに水と油、決して相容れない概念同士と言っても過言ではありません。仮にお母さまに抗議してみたところで、平然と「あら、だってこれズック靴でしょ? 丈夫で汚れてもいいヤツなんじゃないの?」「そんなズック靴でいくらカッコつけても、誰も見ちゃいないわよ!」などと返され、逆にさらなるダメージをくらうのがオチかもしれません。
三十路になろうが四十路になろうが、それこそ還暦迎えようが何しようが、とにかく子供は子供、アタシが面倒見てあげなきゃな〜んにもできないんだから! という不動の「母シズム」の前に、こちらもうっかり「子供返り」してしまって、つい大人げない口ごたえなどしてしまう......。「ババァ、ノックしろよ!」イズムに、年齢は関係ないのでしょうね。
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生きとし生けるもの、みんなお母さんから生まれてきた。
しかし、 奴らはその事実を笠に着て我々のプライバシーにずかずかと踏み込んでくる。
たのむ、たのむから……
「ババァ、ノックしろよ!」
母性という名の無神経、通称、「母(ハハ)シズム」を、いま、告発しよう。