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人見知りは才能だ〜サングラスの向こう側〜
こういう言葉て世の中で使うことあるんだと思った。
私は人見知り。おそらく遺伝。父は営業をしていて年中人と話をしていたから、人見知りのイメージはないが、父の兄弟は、みんな酒を飲まないと話さないぐらい、シラフは大人しい。父も根は人見知り。
母は頑張って人と喋ってる感が子供ながらに伺えた。話し方が上手くないというか、下手というか、慣れていないというか…違和感はあった。
私が人見知りて良くないなと思ったのは、弟が対家族以外と話してる態度を見た時。人見知りと知らない人には、ムスッとしてるイメージを与えかねない。そして会話を単語で返す。
反面教師でありがたいと思うようにしようと思った。
アメトーーク!の人見知り芸人を見た時に、大人なのに人見知り。という言葉を聞いてますます人見知りを直そうと思った。
でもとりあえずどうしていいかは分からなかったが、自ら人見知りです。と人前で言わないようにしようと思った。相手が気を使うから。後は自分でイメージをつけない様にとも思ったから。
世の中の人、全てではないけど、私人見知りなんだよね。て言う人に私は微妙な感情を抱く。人見知りはきっと人見知りて言えないと思うけど。人見知りて言って何のアピール?相手に気を使えと思ってるのかな。とさえ思えた。
人見知りが治ったとは思わないけど、社会に出て世の中にもまれて、2回目の成人式を迎えそうな歳に近づいている。昔に比べればマシにはなったかなぁ。なんて事を思ったりしていた。
そんな時に『人見知りは才能だ』の言葉を教えて頂いた。
人見知りは他人の事を人一倍見ている。『こうしたらこう思われるかな』と思い身動き出来なくなるけど、それは他人の事を人一倍見ている証拠。だそう。
自分の欠点だと思っていた事を認められたり、褒めて頂いたりすると、嬉しいというか、ホッとします。
『こうしたらこう思われるかな』は未だに思う。思いすぎて考えすぎて…うだうだしている自分が嫌だ!となって、結局ら相手に嫌な感情を与えてしまう。
これは人見知りからくる現象だったのか。自分が心が弱いとか気にしいだからかと思っていたから、何かスッキリした。
自分の欠点を受け入れて良くないと思う所はちょっとずつでも改善出来る方向に動いて。
認めてくれる懐の深い人もいるんだと。私も懐の深い人になりたいと思えた。
サングラスの向こう側は何が見えているのだろう。興味深く奥深い。