SCD家族それぞれの軌跡13 [次女篇❶]
受診するタイミング
「あれ?何かおかしい!夫と同じ病気かも」と、私が感じたのは、中学の卒業式でした。卒業生が入場行進して来た時に、周りの皆と歩行リズムが微妙に遅れるのです。
次女は小さいころから活発で、運動が得意でした。一輪車も直ぐにマスターして、外で走り回っていました。中学の部活動は、運動部に入部するものと思っていましたが、地味に文化部(何部か覚えていません)を選択しました。「あれだけ運動するのが好きな子が、何故なんだろう」と不思議に思いました。その時から動きにくさを自覚していたのかも知れません。
高校は自転車通学でした。時々、転んでいたようで、膝小僧に痣を作りながらも、5㎞の距離を雨の日は合羽を着て、毎日登校しました。体育の授業も皆と一緒に受けていました。16歳ごろから、椅子の立ち上がりや狭い道、夜間歩行時に不安定感を感じ始めたようです。17歳頃より、電話での会話が聞き取りにくく、食物摂取時は時々ムセていました。それでも普通に生活し、中学から高校まで皆勤でした。運転免許も取得しました。
高校卒業後は、介護福祉士を育成する愛知県にある専門学校に通いました。しばらくは通学ができたのですが、徐々に駅の階段昇降が大変で、実習にもついていけなくなり中退を余儀なくされました。
次女と共に、置きっぱなしにしてある荷物を学校に片付けに行きました。学校生活を続けたくても続けられなくなった次女は、さぞ無念であったことでしょう。察するに余りあります。不憫でなりませんでした。帰りにお寿司屋に寄りました。その日は奮発して、回転ずしは止めました。
病気は早期発見、早期治療が原則です。しかし、治療法がない神経難病の受診のタイミングは何時が良いのか、私は、長い間迷っていました。難病を背負っていく過酷な現実を、早い時期から次女に突きつけるのはあまりに可哀想だと、その時を見計らっていました。
2004年12月、意を決して神経内科医師の診察を受け、恐れていたことが現実になりました。
次女、19歳の時です。