クリープハイプのトリビュートアルバムを聴いてanoちゃんがすご過ぎた話
08/28発売のクリープハイプのトリビュートアルバムを聞いた
結論から言うとこのアルバムはめちゃくちゃ完成度が高かった。
トリビュートアルバムとしても、一般的なアルバムとしてもどちらの観点でも
トリビュートアルバムのあるある以下2点
カバーするアーティストの曲への解釈が違う
その曲を音楽的にそんな背景があるお前がカバーするのは違うだろ
これがほとんど無かった
ただ、良くも悪くもanoちゃんがいたせいで個人的にはこのアルバム自体への評価はかなり下がってしまった。
誤解されないように先に伝えたいがanoちゃんのカバーはとんでもなく良かった。
というか、良過ぎたせいでバランスが崩れてた。
まず、このトリビュートに参加してるアーティストほとんどは
曲の解釈への納得感
各楽曲の担当アーティストの割り振りの納得感
そんでこの楽曲をこのアーティストがカバーしたらそうなるよねという納得感
を満たしていた。
anoちゃん以外は「非常に上手に与えられたクリープハイプの課題曲をクリープハイプの世界観を崩さずに自分風に昇華した。」と言える。
これ自体すごいことだし、そんな曲が大半を占めてるトリビュートアルバムは滅多になく奇跡に近いな。という感想を抱いた。
しかし、anoちゃんの楽曲に至っては上記の3点はもちろん抑えた上で
この楽曲を通してanoちゃんが伝えたいことがハッキリとわかった
これがとにかく大きかった。
他のアーティストを下げる意図は全くないが、anoちゃんは上記のハードルはもちろんクリアした上で「この楽曲を通してanoちゃんが伝えたいことが明確にあり、anoちゃんがこの楽曲を歌わなければ意味がない」というレベルまで昇華していた。
それぐらい”凄み”があった。
自分流に上手くアレンジしたとか、そのアーティストの曲になってしまった。とかそういう話ではない。
もともとanoちゃんが伝えたかった想いをこの楽曲をツールとして使い、完全に伝えきった。
当然クリープハイプへの強いリスペクトも感じるし、この楽曲じゃないともともと伝えたかった想いは伝わらないだろうなというくらい曲の解釈とも合致していたし、1つの楽曲としての完成度も原曲とは違った形で確立されてる。
正直な話、anoちゃん以外の曲は「完成度高いしいい感じだけど、原曲の方がやっぱいいな。もう聴くことはないだろう」と思ってしまった。
クリープハイプの原曲が素晴らしすぎるというのもあるだろうが、anoちゃんの曲が原曲とは別の方向で完成されてしまっていて、他の楽曲を聴いた時にこの思考になってしまった。
anoちゃん自体をあんまり知らなかった(よくテレビに出てるメンヘラ不思議ちゃん系、粗品と仲良い人という認識だった)けど、アーティストとして食っていくんだろうなこの人は。と認識が改まった。
素直にこれからアーティスト活動を応援したいと思った。
音楽や詩って誰かが何か強い想いやメッセージを伝える時に使うツールの1つでしかないんだな、というのを昨今の音楽飽食の時代に改めて実感した。
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