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増田珠選手に救われた話
初note、何を書こうかと思いましたが…
この事にしようと思いました。
あの話題のnoteに便乗したような形になりますがご容赦ください。笑
去年の今日は、増田くんがヤクルトスワローズに入団することが正式発表された日。
「絶望」の一言に尽きたあの発表から一年が経ちました。
「絶望」は「希望」に変わり、増田くんはすっかり馴染んだスワローズのユニフォームで研鑽を積む日々。
応援させてもらえることに、日々感謝です。
私はこんなにほぼ毎日増田くんのことばかり呟いていますが、あの横浜高校で4番を張り、激戦区・神奈川県の大会記録を塗り替えようとした……その事を知りませんでした。
増田くんと同じ学年であり、増田くんの出身である長崎県に住んでいながらなんという不覚…
ただ当時私が所属していた吹奏楽部の夏も非常に熱く、高校野球を見る余裕がありませんでした。
そのため初めて増田くんを見たのは、何気なく見ていた県内ニュースで、ホークスからドラフト指名があった事が報じられた時でした。
(プロになるために横浜に?)
(私だったら絶対そんな決断できない、
すごいなぁこの子…)
と思ったのが初めてで、ゆる〜く応援するつもりでした。笑
そこからホークスに入団し、2019年に一軍デビュー、手の怪我がありつつも2022年には一軍と二軍を行ったり来たり……
その2022年に、私は増田くんに救われました。
私は、双極性障害、昔の言い方だと躁鬱を、
2022年に発症しました。
現在はかなり状態は良いですが、治療は継続しています。
当時接客業に就いていた私は、上手くいかないことへの焦燥感や不安感が強く、また家庭でも色々あったことから自分を追い込み続けていました。
そんな日々を送っていたせいか、ある日ぷつんと自分に張っていた糸が切れて、全てを投げ出そうとしました。
その日は職場で体調を崩してしまったため、母に迎えに来てもらいました。
ぼーーっとしていた頭の中で、
「消えたい」「いなくなりたい」「弱い」「自分が生きる意味などない」「生きているだけで私は…」
と、意味もないことをぐるぐると考えました。
そんな時、私のLINEに1件の通知がありました。
ホークスファンの友人からでした。
「今日の増田くん、すごいね!」
当時のホークスはコロナ感染者が大量発生し、主力がゴッソリいない状態でした。
そこで増田くんや若手選手たちが代替選手として、一軍に帯同していました。
そういや増田くん…と思ったのか、または無意識か、友人の言葉を見てすぐSNSを開きました。
私の目に、増田くんがタイムリーを放ったシーンが飛び込んできました。
少しでも爪痕を残そうと必死で食らいつく姿。
チームのために一生懸命鼓舞する姿。
主力がいない中で首位にいたチームを救おうと頑張る姿。
(あれ、私なに馬鹿なことしてるんだろう)
気づけば私は、母が運転する隣で声を出して大泣きしていました。
幾度となく立ちはだかってきた壁を乗り越えてきた増田くんを応援する身でありながら、私は全てを捨てようとしていました。
「そんなことするな」と、増田くんからプレーを通して言われた気がしました。
あのプレーが無ければ…
友人からのLINEに気づかなかったら…
増田くんがあの時一軍にいなかったら、もし応援していなかったら…
と、今でもよく考えます。
それから私は、次の日心療内科を受診し、診断を受け、しばらく仕事をお休みすることになりました。(その後退職しました)
休むとはいえ気持ちはずっと暗いままで、もう嫌だ!!!!!!と思うことも多々ありましたが、不思議なことに、その度に打つ増田くん。
ある日はお立ち台にまで上がりました。
感情の振れ幅が完全に狂っていたので、その度に大泣きしました。笑
私は増田珠選手に救われました。
だからこの先何があろうと、増田珠選手のことはずっと応援し続けます。
ファンが選手のプレーに心を救われた、という話は、決して珍しくはないと思います。
私のこれも、たくさんあるエピソードのうちの1つに過ぎませんが、Xにそのまま投稿するのも…と思ったので、ここに書き記した次第です。
これからも増田珠選手の道が幸多きことを、お祈りしています。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
#東京ヤクルトスワローズ
#増田珠 選手