奈良へ行ってきたよ③
車に乗って「どこか行きたいところある?」と聞いてくれていたB子が、「二月堂から夕日見るの、どうかな」と言った。
二月堂の夕日、なつかしい。
恩師が2月に亡くなり、先生を「偲ぶ会」に招かれて、20年ぶりの奈良だ。
A子は中国地方から、私は甲信越からの参加だった。
日本の西も東も、猛暑に包まれている。
奈良も蒸し暑く、エアコンの効いた車内から道行くヒトヒトヒトを眺めて
負けずに歩いているシカシカシカも眺めて、市内を流す。
天極堂さんで軽く腹ごしらえのおかゆを楽しみながら、B子が「先輩にも声を掛けようか!今頃、奈良ホテルでのんびりしてると思うけど」と。
先輩お二人も合流しての、東大寺二月堂・夕日ツアーということになった。
すでに18時近く、二月堂へ向かう観光客は皆無。
駐車場から、ひっそりとしたゆるい坂道を上る。
夕刻の奈良は蒸し暑い。
それでも懐かしい顔ぶれと一緒に歩いていると、暑さも込みでいい時間になる。
さすがに足腰疲れて汗だくにはなったけど、昇りきってみると・・・
この向かってもう少し左は生駒山になる。
2月に亡くなられた先生のお宅は生駒にあり、なんだか、あちらからも
先生がこちらを眺めてニコニコしてらっしゃるような気がした。
堂上にはちらほらと観光客らしき人がいたが、口調から、どの人もこの夕日の美しさを知っていて、初めてではないように感じた。
多分、定年後と思われる男性が、観光ガイドよろしく自分の撮った写真をそこにいる人たちに見せては説明して回って、私たちもその「餌食」になりかけた。いやはや。こういう趣味もあるんだなと思いながら早々にご辞退した。
日没の直前までそこでゆっくりして、明りが残るうちに下界へと向かう。
先輩が「バクちゃん、〇〇センター(学生寮)から二月堂が見えたの憶えてる?」。
そうだった、先輩は私が1回生のとき同じ寮だった。
一緒に食事当番や買い出し、お風呂掃除したんだった。
「あれー、そうだったんですか!イヤー知らなかったです(;^_^A
三つ子の魂百まで。あいかわらずのぼんやり具合にあきれる。
帰りの坂道をゆっくりとくだる。
深い森のほうから、きゅー、きゅー、と鹿の鳴く声が聞こえる。
あらためて「ここは奈良なんだな、とうとう奈良へ来てるんだな」と
感慨深い。
そしてみんな「先生がここにいないなんて」とよぎる想いはあるのだろう。
20年前に先生の退官記念に来た時も、そのまた前に、先生の還暦のお祝いで来た頃も、先生は市民講座で「文学散歩」と銘打ったセミナー(というか実際に散歩)を定期的にされていた。
先生はいつも、学生や受講する市民の人たちに囲まれて、奈良の街や片田舎を歩いていたというイメージがある。
奈良を愛し、文学を愛し、人を愛していた。
講演会も執筆依頼も、まだたくさん控えていた。
先生をあっというまに連れ去った流行病を心から憎いと思う。
*
先輩お二人を奈良ホテルへ送り、私たちはちょっとゆっくりとお茶でも飲むかということになった。
まだまだしゃべり足りない。
時間的には夕食時は過ぎ、どこのカフェを眺めてもそんなに混んではいない。若者向けでBGMが賑やかすぎるカフェに入ってしまい「これじゃしゃべれない」と却下。
わりと広い、ファミレスのようなカフェ(たぶんチェーン店)を見つけてそこに決める。中はゆったりした席数で、空調がよく効いていた。
それぞれが、ミルクたっぷり系の冷たい飲み物を注文し、2時間居座った。
話題が尽きない。
もう22時近いからと、後ろ髪を引かれつつカフェから出る。
奈良も熱帯夜だ。
それでも冷え切った体には心地よかった。
明日の「偲ぶ会」本番の予定をざっとおさらいしながら、B子にホテルまで送ってもらった。
ホテルはA子が予約してくれていたが、娘さんが以前泊まって、気に入った所だと言う事。ビジネスホテルで格安なのだが、整然としていて、また奈良に来ることがあれば、ここを使おうと思った。なにより、ベッドが広くて空調が丁度良くて、旅では眠れないのが常である私が、二泊ともぐっすりと眠れたのだった。