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クリスマスに思うこと
昨日は今年最後のゴスペル練習日でした。
この日には、練習の終わりにお茶会をするのが恒例なのです。
ほんの40分ほど、持ち寄ったお菓子と、会場である教会の牧師さんが準備してくれたお茶で、一年を振り返りました。
それに先立っての練習がいつも以上に楽しかったです。
そしてとっても疲れた。心地よい疲れ。
先生はクリスチャンでもあるので、クリスマスの一部始終を歌で辿るメニューでした。
以下のような曲順で、先生のクリスマスのお話を聞きながら歌いました。
まず、長い間(700年以上)待たれていた、救い主の誕生が告げられます。
それを最初に聴いたのは、一番低く貧しい階層と言われる、羊飼いたち。
寒い冬の野にあるその羊飼いたちに、天使が最初に告げました。
みなさんよくご存知の、馬小屋でのイエスの誕生譚。
静寂の中で眠るイエス。
それをうやうやしく礼拝する、しいたげられてきた貧しい人々。
星に示されて、東方からはるばる礼拝に来た三博士。
長い間苦しく貧しい人生を強いられてきた人々に、救い主が与えられました。
その喜びを世界に告げ知らせよう!
世界の人々は、彼を心に迎え入れる準備をしましょう。
これは少し雰囲気が違う曲。
昨日初めて歌ったもので、とてもフランクな、親しみやすい曲調でした。
YouTubeには、カントリー調のアレンジもありました。
山の上に立って、救世主が来たことを告げ知らせよ。
命令口調に、心の高揚が伝わってきます。
この妙齢のご婦人方が、なんとも楽しげで。
最後の曲は、徐々に、たっぷりと分厚いコーラスになって行って、最後は豪華に歌い上げます。
歌い終わるとみんな(先生も)「はぁーーーー!!」と前かがみになって、短距離走のゴール付近の風景さながらでした。(わかりにくい)
みんなイエスのもとに来て礼拝しましょう。
天上の天使たち、地上のひとびと。
みんなで救い主をほめたたえましょう。
*
ゴスペルを歌っていて、いつも少し心配になるのは、いろんな人が聞いているということです。
「神様は素晴らしい」と、それをひたすら歌っているゴスペル。
なにが素晴らしい?神様が何をしてくれた?
世界は混とんとして、苦しみのほうが多いじゃないか。
「自分こそが神だ」と思うような人が
世界を軋ませているのに。
そんな気持ちで聞いている人も、少なくはないだろうと思うのです。
先生は必ずライブで言います。
「悪い事や悲惨な事はなくなりません。
ただ、それを越えられる力をくださいと神様に祈ります」
神が人間の都合に合わせて何かをしてくれる、というのではなく
神様のほうで、一人一人に必要なことを与えているというのです。
それは苦しめるためだけではなく、必ず、一緒に助け手を置いてくれる。
逃げ道を用意してくれている、というのです。
ゴスペルソングの歌詞は、苦しみや悲しみはしっかりと受け止めて、
その上で、それに飲み込まれないようにひたすら神を見上げて、ほめたたえて、前へ進もうとしているものがほとんどです。
それはちょっと見、自分をごまかしているような、思い込みのような、逃避のような、気もしたものです。
でも歌詞を知ると、起こってしまったことから目をそらしてはいないんだなぁと気が付いたのです。
そのことは神がくれたものであり、自分には必要だったという事。
しっかりと受け止めて、できることをして、そのうえで、神様がどう動いてくれるのか、期待して待つ。そんな感じなんだなぁと。
ただ、神の意図は、生きているうちはわからないことも多いでしょう。
人のわずか数十年の人生では、わからない。
戦争でたくさんの悲しみや憎悪が生まれるのは?
しかも、それがイエス誕生の地が舞台になっているのは?
日常的に、不慮の、無差別の、事故や事件で命が永遠に奪われるのは?
やり場のない「どうして?!」は無数に存在します。
それでも日々は続いて行って、自分は生きて年を取って行く。
苦しくても、希望がなくても、毎日を過ごさなくてはならない。
私は、「神」に居てほしいと思ったので、クリスチャンになりました。
人間が神を作り出したと、言うこともできるでしょう。
それでも神に自分をゆだねることは、自我としては気弱い時もあるけど、最強になれる術でもあります。
「かのように」を思います。哲学であったやつ。
全然詳しくはないけど、信仰はこれにあてはまるかなぁと思うんです。
人がよりよく生きるための虚構。
それは、生きる上で、よい効果をもたらす。
虚構を現実であるかのように捉えることで、逃避ではなくむしろ進んでいける力になる、というところが、好きなのです。
私が進むために、前を向けるために、神様に居てほしいんです。
こういうことについてnoteに書くのは少し怖いです・・・その信仰をめぐっての争いだって、人間は生んでしまいますしね。
でも、クリスマスくらいは、ちゃんと思うところを書いておきたいなということで。いちおうチンピラクリスチャンとして(;^_^A
ゴスペルを歌っていると、その虚構と言ってしまえる物語が、こんなにも素晴らしい音楽を生み出し、人を癒やし力づけてきた、希望をもたらしてきた、ということに、感動をおぼえます。