み〜んみんみん!
長男は生後5カ月の検診で「療育センター」へ行くように言われた。
分娩時、くも膜下出血による仮死~蘇生があり、1か月間のNICU退院後は
初めて母親になった私には、何が何だかわからないままとにかく毎日を過ごしていた。
毎月、頭囲を測ってください。
母乳の前に、抗てんかん薬を飲ませてください。
それを守りながら、アパートで過ごした。
まあ、1か月も保育器にいたんだし、発達には少しは遅れがでるかも。
そんな風に思いながら、泣いたらあやし、眠ったら一緒に寝た。
眠りも浅く、母乳の飲み方も大変そうだったが、そんなものかなと
毎日、長男の状態に引きずられるように過ごした。
夫はそのころ製造業のサラリーマンだった。
新しい課の立ち上げで、早朝出勤、真夜中に帰宅する日々だった。
その「療育センター」へ行く日は、クリスマスイブだった。
帰りにケーキ買おう、なんて話しながら、夫が運転する。
診察は、落ち着いた、お母さんという感じの医師だった。
しばらく経過を聞き、長男を引き起こしたり、寝返りさせたりして
状態を観察した。
そして診断は「典型的な脳性麻痺です」ということだった。
「小学校入学までにずり這いができるかどうか」
「お母さん、期待はしないで。がんばりすぎないで」
そう言われたのを覚えている。
脳性麻痺。よくわからないけど、どうやら、障害児、なのかな。
夫が長男を抱っこしていて、私はひとりで丸椅子に座っていたが
ぐる~~っと世界が回っている気がした。
足元がすくわれたみたいな。
頭が真っ白だった。
そして一瞬、その真っ白の中に見えた。
虫網を肩に担いでトコトコ歩く、麦わら帽子の男の子が。
その子はきっと、私の「男の子」のイメージだったのかもしれない。
それは永遠に失われたと、私のどこかで、その時勝手に判断していた。
蝉頃
いづことしなく
しいいとせみの啼きけり
はや蝉頃(せみごろ)となりしか
せみの子をとらへむとして
熱き夏の砂地をふみし子は
けふ いづこにありや
なつのあわれに
いのちみじかく
みやこの街の遠くより
空と屋根とのあなたより
しいいとせみのなきけり
(室生犀星「第二愛の詩集」)
その男の子は、室生犀星の詩「蝉頃」の子だ。
それはとっさにわかった。
学生時代によく読んだ、室生犀星の詩。
せみの子をとらへむとして
熱き夏の砂地をふみし子は
その一節が、頭の中で像を結んだのだろう。
犀星はこの詩に、このころ1歳で亡くしてしまった長男への思いを
込めている。同時に、遠い彼方になった自分の幼年時代も。
なつのあはれに
いのちみじかく
しいいとせみのなきけり
「しいい」という、羽化したばかりの、頼りなくはかなげな音色。
ふっとないて途切れた、かなしみ。
帰りの車の中で、夫は無言だった。
何も言葉に出来なかったのであろうし
私への気遣いもあったと思う。
助手席で長男を抱っこしながら、私はなんだかわからない、
闘志に武者震いしていた。
私が守る。私が育てる。
夫のことまで守る気になっていたかもしれない。
「今日はクリスマスケーキ買って帰ろう!」と勇んで言った。
それからデコボコと34年経って、先月、長男は施設へと巣立っていった。
虫取り網の男の子はあの時消えたが、長男は立派に、笑顔で羽化して、力強く
み~~んみんみんみんみんみん~~!!
と、今日もバタバタ頑張っているだろう。