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チューリップくんだった
今や必要なことしか言わなくなった(必要な事も言わないことがある)次男。そりゃまあそうか、34才ですからね。
その次男にも、こんなに可愛い時があった。
チビくんのかわいらしさ。みおいち母さんの幸せ感。
お二人の楽しそうな笑い声まで聞こえてくる気がする。
読みながら思わずニヤニヤと、あの幸せだった(笑)時期を思った。
私も、みおいちさんのように、記録しておきたい気持ちが湧いてきた。
*
次男は今はひょろりと痩せているが、小さい頃はふっくら、チューリップみたいなかわいらしさだった。
いやほんま←親バカ
チューリップに目鼻をつけると、はい、次男です(笑)
春のそよ風に揺れるように、ニコニコ笑っていた。
自分の世界に入って、ひとり遊びが好きだった。それは障害のある長男に私が付き切りだったこともある。好奇心は強く、気に入ったものを自分で作って再現して楽しんでいた。
次男が小学校低学年のころ、部屋や台所(共有スペース)は、工作したさまざまなものであふれ返っていた。
長男がヘルパーさんと散歩にでかけたり、夫といる時は、次男と一緒に私も工作をした。天井一面にぴらぴらした紙を貼り付けたり(何をしてたか不明)、段ボールで等身大ロボットを作って紙つぶてをその口に投げ込んだり(ロボットに「穴あき食べ食べくん」と命名)、ダイニングテーブルの下を秘密基地にして昼寝したり、食事したり(笑)
いろんな製作物がとっ散らかって、ぱっと見「ゴミ屋敷」みたいな所に暮らしていた。
次男はそのゴミと見まがう堆積物の中で、ニコニコしながらひたすら何かを作っていた。彼にしたら、宝物の山で遊んでいたのだろう。
自分の世界で黙々と遊ぶことも好きだったが、出かけると、ずっとしゃべっていた。
受診などで待っている時間、いろんなことを話しかけてくる。私もしゃべっていて楽しかった。ついしゃべりすぎて、肩をすくめて周囲を見回すこともあった。
それでも次男とのおしゃべりは、楽しい時間だった。
3年生くらいに、ゲームが流行った。数少ない友だちも夢中になった。次男はそれほど熱中しなかったが、4人くらいで、あの子やこの子の家を根城にして、遊んで回った。
だんだんと、友だちがゲームをしに来ても、自分は別の遊びをしているようになり、次男のゲーム時代は3年生で終わってしまった。そして友だちとも遊びの好みが合わなくなって疎遠になった。
ゲームの代わりに次男の心を虜にしたのは、マジックだった。それからトリックアートの世界。
学研の「学習」「科学」の付録に、簡単なマジックのキットが付いてきたことがあり、多分それがきっかけだったと思う。
トリックアートは、テレビ番組でやっていたので毎週録画し、静止画にして模写していた。厚紙で立体的に作ったこともあった。
「作る」ということをさせておけば、一日没頭しているような子だった。
本当にそれが好きで、幸せそうだった。
大道芸人とか、何かの職人さんが合っているかも、と思っていた。
しかし、まわりとの学力差などが不安になり、塾や教材をするようになったら、好きな世界で遊ばなくなった。あれこれと器用にできる人ではなかった。
あのままずっと好きな世界にいるわけにもいかなかったのだが、ほんとうに残念だった。マジシャンを目指す、職人になる、なんて、本人もそこまでの覚悟も本気もなかった。
中学、高校と、年頃もあってだんだん口数も減り、目の前のことだけで精一杯のように見えた。のんびりニコニコした時代は終わったのだった。
だれにでも訪れることだとは思うけど。
高校、大学と、大人しい人になった。いじめにも遭ったし、メンタル的に不安視されて最初の会社からは1年で退職を勧められた。
辛いバイトや、介護の仕事などを通って、いろいろ苦しい試行錯誤をして、よくまあ、今の次男にまで漕ぎつけたと思う。
ゆっくりとしてる人だけど、国民年金を払い、奨学金を返済しながら、彼なりにがんばってる。
この頃、またマジックやクイズを楽しんでいる様子で、ネット注文したテキストが届くようになった。
あちこちの楽しそうなイベントにも、一人で身軽に出かけて行く。
私はそれがとても嬉しい。
こういう生活をどこまで続けて行くのかな、という不安はよぎらないわけではない。夫は口にこそ出さないが、それで不機嫌なこともある。
しかしその心配は、本人に任せておこう。
きっとそれが一番だ(笑)