地震が気づかせてくれたこと
昨夜の大きな地震、たまげました。
揺れの大きかった地域の方、被害があった方がたに
お見舞い申し上げます。
あの時間、私は丁度ふわっと眠りが来ていたので、アラーム音でガバッと跳ね起きた。無感情な声が「大きな地震が来ます」と言っていた。
いつもならすぐに隣に寝ている長男を守るべく、ぴったり貼りつくのだが、幸い、木曜の祝日からショート利用で、いなかった。
その意味では安心だったけど、長男がいる時とは怖さがまったく違った。
「どうしよう、うわ、どうしよう、揺れてる?揺れてる?」みたいな感じで、半分寝ぼけてもいるしほとんど暗闇(寝る時は暗闇にしてます)なので、うろうろしてしまう。その自分にまた不安を煽られてしまう。
長男がいると、とにかくこの人を安全に守る!が第一命題である。もう、抱っこもおんぶもできないのだ、覚悟決めてやたらに動かず、何かが落ちてきたら覆いかぶさるのみ!という行動規範がある。だから無駄に騒がないでいられるのだ。まあ、天井なんかが落ちたら守るにも限界あるけど。
ところが、1人だと、ぜんぜん情けないのだった。つかまるか?いや、座っとくか?いや、部屋の外に出るか?みたいに、右往左往している。そんな自分に気づいてますます不安になってしまう。
ぐらぐら揺れるというものでもなく、建物のどこかでギイギイ音がして、床が少し不安定な気がして、これから大きいのが来るのかと身構えていたが、一向にこない。そのうち娘から「地震だね」とラインが来て、ぐっと落ち着いた。ありがと、娘。
ほかの家族の皆々様は、全然動じる気配もなく、リビングに誰一人顔も出さない。
17年前の中越地震のときでも、この家の住人(当時は義父と義母の2人)は、大きな本震が収まってから屋内に戻って、その晩は布団の中で眠ったというから、豪傑なのだ。余震が何度繰り返したかしれない一晩を。
私といえば、地震雷火事親父がほんとうに怖くて、なんでもない普段の夜だって、「この天井が落ちてきたらとりあえず隅っこに寄るのがいいかな」「火事になったらどこから脱出可能か」なんて、1人脳内避難計画をしているのだ。まだ子どもが保育園に上がる前、ここに同居していたころに、誕生日プレゼントは何がいいか聞かれて、大真面目に「避難ばしご」と答えた。子どもをおんぶして、3階から、脱出するしかないと思っていたのだ。
夫はそれを誕生日に買ってくれた。「避難ばしごなんか急に使えるわけない、日ごろ訓練している消防士でもなきゃ」とは思っただろうけど、あまりの必死のお願いに負けたんだろうと思う。高かっただろうに、すまんかった…幸い、使いそうな場面は今まで一度もない(笑)
一夜明けて、ニュースでは、震度が大きかった地域の被害を報告していたが、家族も実家も、鳴りを潜めている。朝一番に話が出ないし、実家から電話も来ない。怖がっていたのは私だけだったのか?
日頃から、長男をとにかく安全に、と心がけているが、昨夜1人で受け止めた地震に、いかに長男から守られていたのかがわかった。
長男は、すべてに対して自分を投げ出して生きている。自分で自分を守ることが出来ない。手で顔を覆ったり、頭を何かからよけることも、足ひとつ必要な動きができない彼のおかげで、私は恐怖に囚われるよりも守ることに集中できるんだな。彼がいることで、どれだけ私は強くなれていたんだろう。
近い将来、施設に入所になるが、そうなったら私は何によって自分を保って行くんだろう。きっとしばらくは、どこかバランスがとれない機械みたいに故障続きになるのかも知れない。
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