見出し画像

ただ好きだということ

記事を更新しないでもう10日くらいたった。
結構あいたなぁ。
アンテナも感度もさぼっていて
何だかぜんぜん毎日がつまらない。
このごろ、快適に思えるのは
音声配信聞くのと、昼寝と、気まぐれにやるピアノの練習。

音声配信は笑顔になれていい。元気になる気がする。
昼寝は、13時くらいになるとどうしても眠くなる。
・・・から横になる。寝てしまう。こないだはこれで風邪ひいた。
この昼寝をしなければ、夜ふかししなくて済むのに。
(といっても23時には寝てしまう。理想は22時就寝。)

ピアノはやっぱりもっと弾けるようになりたくて。
でもすぐ練習をさぼる。
でもまたすぐ弾きたくなる。
そういう繰り返しで、いっこうに進まない。
ピアノさんは永遠の憧れ。


隣の家の娘さんが、時々弾いている音がする。
エレクトーンのようだ。
上手なんだなぁこれが。
私の練習なんか、聞かれたら恥ずかしくて身が縮む。
消音機能を効かせて弾くことになるが
この消音に切り替えたときの電子音がどうも嫌いなのだ。
なんて言ってるとまた練習しない言い訳になるから
電子音で今はがんばっています。
気分次第だから、やらない日はとことんダレている。

とことんダレている日でも、マル太郎の散歩はさぼれない。
マル太郎が高齢で運動量が減ってきたので、散歩を1日3回にした。
脚の筋肉が衰えたら大変だ。柴は認知症になりやすいらしい。
朝昼晩と3回、20分くらいずつ、ゆるゆると歩くようにしている。
私も、長男の介護がなくなってすっかり運動不足なので
お互いのためと思う。


長男が医療ケア必須になる以前は、土曜日にピアノ教室に行っていた。 大人のピアノ教室。弾きたい曲を中心に、基礎は軽く。
そこではベートーベン『月光』(第一楽章、第二楽章。第三は驚異だから永遠の夢)と、バッハ『主よ、人の望の喜びよ』を練習した。 後で考えると(いや、あまり考えなくても)とんでもない身の程知らずだったことがわかる。

なんとか最後まで弾けるようになり、そこからがホントの練習なのに、その頃、長男が医ケアになって土曜日の受け入れ先がなくなったため、教室に通えなくなった。
だんだんと自主練は続かなくなり、どんどんと弾けなくなった。
弾けなくなると、おとなしく聞いていた長男が不平を鳴らし始めた。
「へたくそー、やめちまえー!」と言っていたような気がする(笑)
弾きたいと思う日も、徐々に少なくなっていった。


あのころから6年。
先生が、くだんの『主よ、~』について、言った言葉が私を呼び戻す。
「最後に出てくるこのメロディー、教会のステンドグラスに光が透けているみたいで、美しいですよね」
この、最後のほんの数十秒ほどのメロディーが綺麗に弾けたときの満足感。色とりどりの光が天井から降ってくるようだ。
バッハさんてああ見えるけど?すごいなあ、こんな美しい音を作り出せるなんて。弾いている間は、清々しく美しい気持ちになれるんだなぁ。
てなわけで、諦められずピアノの蓋を開ける。
ステンドグラスの光を感じたくて、かすむ楽譜に目を凝らす。

ピアノの魅力って限りないな。
ヘタなりにだけど、続くといいな。
それでちょっとでも上手になりたいな。
三日坊主の私だが、ピアノにはそんな思いが続いている。


くまさんのこちらのnoteに刺激を受けて
自分の「好きなこと」について考えてみました。


くまさん、いつも気づきをありがとうございます。
「好き」を楽しめるようになりたいです。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?