見出し画像

逃げて来た話

大学卒業後、実家で市役所の試験を受け、2次で落ち、気分転換に自分の部屋の壁という壁をミントグリーンに塗りたくって、さて、この先どうするべと思っていた。
自動車整備の仕事をしていた弟が、職場の関係で、自動車販売店の事務を紹介してくれた。それは家から電車で1時間ほどの町にあった。

学生時代は気ままな一人暮らし。実家にいるのもだんだん煩わしくなってきた頃合いで、ふたたびのアパート暮らしは楽しみだった。

店はアパートから歩いて10分ほどのところにあった。
店長一人、事務一人の小さな店だった。
私の前に勤めていた女性がやってきて、簡単に仕事を教えてくれた。
あとはだんだんおぼえて行けばいいよということだ。

電話番、お客さんへのお茶出し、市役所へのおつかい。雪の季節は展示車の雪下ろし。春先は洗車。店先ののぼりの出し入れ。
もたもたしながらも、どうにか仕事らしきことをしていた。
「彼女、事務机の上をもっとキレイにしといて。散らかってると仕事ができないと思われるぞ」
店長は私を呼ぶときに苗字ではなく「彼女」と言った。
私は「伝票とはなにか」も知らなかったから、仕事ができるふりさえできない。机の上はいつも乱雑だった。

しばらくすると、店長は機嫌がいいときは仕事を教えてくれるが
なにかで不機嫌だと仕事を教えてくれない、と気が付いた。
今考えれば問題ありの上司だが、当時は「そんなものか」くらいにしか思わなかった。

ある晩、帰宅するとすぐに店長がアパートにやってきた。
店長が紹介したアパートなので場所を知っているのだ。
買い物袋にたくさん食材や総菜を入れていた。
「彼女、メシこれからだろ。これでも食べて」
そう言って手渡して、すぐに帰って行った。
「いい人なのかな」と思ったが、なんだか違和感があった。
それが何だったのか。
いきなり若い女性の一人暮らしのアパートに来ることが変だと思う感覚は、当時の私にはなかった。
ただ、これって普通にあることなのか?という疑問は残った。

仕事にはなかなか慣れず、机の上は相変わらず書類や伝票が出ていた。
それに加えて、仕事上、私にも運転免許が必要だと言われ、現地の教習所に通った。

店長は豪快でフランクな感じで、お得意さんたちと楽しげにしゃべっているが、お客がいない時、ときどき不機嫌になった。
私は冗談にもくそ真面目に答えるような、融通の利かない店員だった。
仕事の覚えも悪く、もたもたして気も利かない。
機嫌の悪い日は、店長は何も仕事を教えてくれないから、手持ち無沙汰でうろうろしていた。
あれはどこにある、この請求書はなんだ、この人の車庫証明はまだとれてないのか。
わからないまま、言われるままに、やっていた。
さぞかし「使えない」やつだったと思う。


できないことが多くて私が落ち込んでいるように見えたのか、それとも自分の不機嫌を反省することがあるのか、閉店後にドライブや食事に連れ出したり、買い物に付き合わされたりもした。
あとで思えば、それは私を元気づけるというようなことではなく
なにか、雇い主にあるまじき、ヨコシマな思惑があったのだ。
隙あらば、みたいな、ずるい思いがあったのだと思う。
私も、言われるままについて行ってはいけなかった。
何も考えていない小娘だった。

就職して3ヶ月目くらいのころ、店長は今でいうセクハラ的なことをするようになった。
過剰なスキンシップ。
私は最初、頭の中が真っ白になった。
動揺を見せまいと、平気な顔して別の仕事に行ったりした。

アパートに帰り一人になると、耐えがたい事なのだ、ちゃんと拒否をしなくてはならないと自分に言い聞かせた。
それからは避けるようにすると、あからさまに不機嫌になり、口を利かない。

店のこと、紹介してくれた弟のこと、あれこれ考えてみたが、結局、私は逃げる事にした。
いつものように一日勤めた後、アパートの荷物をまとめた。
私は当時、教習所に通っている最中だったので運転はできず、家族に事情を打ち明けて、すぐに迎えに来てもらった。
夜のうちにこっそりと、いなくなった。


翌日、店長の妻という人から電話が来た。
私は居留守を使い、母からはただ「辞めたがっているので」と伝えてもらった。
その妻は丁寧な口調で、何か悪かったら教えて欲しいと言っていたらしい。
今なら言えることだ。あなたのご主人はセクハラ店長です。
けど、今から40年前。ほんの娘っ子だった私には言えなかった。
「セクハラ」という言葉は便利だなぁと今思う。
その頃はそんな言葉はなかったから、いちいち問題に向き合いたくないし、考えたくもなかった。
紹介してくれた弟の勤務先にだって、やめた理由を知られたくない。
勤務先と辞めて来た店は、ごくたまにでも取引があるのだから。

店長を守ったのではなく、自分を守りたかった。
その顛末はうやむやにした。

店は、前任者が時々顔を出していたので、私がいなくなってその人がピンチヒッターをしたのだろう。私よりもずっと仕事はわかっているんだから、心配しなかった。
(お客さんとの話では、事務の人はもう何人も替わっていて、前任者はしっかり者で一番長かった。親の介護で勤務できなくなった、ということだった)


それからも、無責任なことをした、という後悔はなかった。
ずっとずっと、あんな店長、困ればいい、いい気味だと思っていた。
そんな店長はすぐに後任を入れて、忘れてしまっただろう。
前の「彼女」はこんなけしからんヤツだったと、ほんのいっとき、噂しただろう。

今でこそその街にはしょっちゅう行っているが、当時は店をやめて数年間、近づかなかった。

いつ頃だったか、しばらくぶりに店のあたりを通過した時、そこに店はなく更地になっていた。

あの頃店長は50歳くらいだったから、すでにこの世にはいないと思う。
・・・ことにしている!

いまは名前さえ思い出せない。





迷ったけど投稿してしまいます。
若気の至り。
こんな記憶なんですが
書きたくなってしまったんです。
お焚き上げnoteです(笑)



いいなと思ったら応援しよう!