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歩行と随想
この2ヶ月ほどは、ほぼ毎日歩いている。
7時前には朝ご飯を作り始められるように、6時少し過ぎに出発する。
35分歩く。春よりも5分増やした。
涼しくなったらあと5分延ばしたい。
ずっと同じ整骨院に通っている。
その先生がとにかくやって欲しいと言うのが「歩行と冷却」だ。
体の中心であり要である骨盤の歪みを正すために、バランスの取れた歩行を一日40分以上(2度に分けてもよい)行うこと。
体の細胞はいろんな動作で熱をもち、その熱が臓器やほかの細胞に伝わって
よくない作用を与えるから、運動の後はなるべく早めに20分間、骨盤を零度で冷やすこと。
コロナ前からずっと受診するたびに言われていたが、なかなか続かなかった。半信半疑だった。
長男を34年間在宅で介護してきた。
やせっぽちだったが、じわじわと成長して、34歳の時は平均38キロ、40キロになった時もあった。
とにかく毎日を過ごしていたわけで、今だと考えられないが、その体をお姫様抱っこして車いすから下したり上げたり、していた。
毎日だからできていた。
できていても、知らないうちに私の体にも負担はかかっていた。
先日、旅行した際に肩を痛めたが、それは以前からずっと積もり積もってきた負担が、あらわになったのだと思う。
長年の歪みがここへきて症状として出てきたのだと思う。
以前と比べれば、まず緊張感がない。
年齢相応に体も硬くなっている+介護がないので動きが減った。
この2点でかなり体が錆びてきたと感じる。
肩の痛みはなかなか治らない。軽い日、重い日、いろいろある。
重い日は肘まで痛くて、右腕は肘から先しか動かせない。運転ができない。
料理も左手を動かすことが多くなる。
食事時間に夫に言うと、「おいおいおい」と言った。
おいおいおい、って何だ。
その後に何が付くんだろう。
「やめてくれよ」なのか「どうするんだ」なのか。
ろくな続きが想像できないから
「整骨院には行ってる」
「痛くないように動いている」
と返事して、あとは黙って食事を摂取した。
長年かけて歪んだ体は、すぐにどうにかしようとせずに、気長に戻して行きたいと思っている。
腕や肩が痛いと、頭痛や肩こり、反対側の腰が痛かったりする。
ああ、これが年を取るということか、とも思う。
どこも痛くない毎日は、なんてありがたかったんだろう。
痛くない日は動いた日だ。
自分ではそういうことが多い。つまり運動不足なのだ。
娘と出かけたり、ゴスペルライブで歌ったり、がんばって断捨離したり、みたいな日は比較的楽だとわかった。
とはいえ、毎日そんなふうにして動き回ってはいられない。
仕事に出たらいいのか?いやいやもうどこも雇ってはくれまい。
だいいち、まともに仕事をしたことがない。
社会のお役には立てない。気力もない。
長男の在宅生活が終わると、どっとレベルダウンすると思ってはいた。
第二の人生であるとともに、それは老境への助走。
こんな痛みをあやしながら、過ごすことになろうとは。
悔しいと思う。憂鬱の糸くずみたいなのが付いてくる。
*
夏の終わりを感じる涼しい風を受けながら、朝の歩行をした。
マル太郎の介護も終わり、時間はすっかり私のものになった。
現在、義母も達者だし、家族はみな元気に自分の事は事足りる。
長男は施設での生活にも慣れ、体調も崩さずに過ごせている。
実家の親も小康状態が長く続いて、ささやかに楽しみながら暮らしている。
私も自由な時間を手にして、好きな事ややりたかったことを伸び伸びとやれている。
なのに、ここに「肩の痛み」が加わるだけで、どんよりしてしまう。
なんて弱っちい者なんだろうと感じる。
それはそれ。
切り離せば、今の自分はとても快適で幸せな時期にいるんではないかな。
もちろん切り離せない痛みもある。
でも切り離せるときは切り離れたことにして、頭も切り替えよう。
肉体と精神は切り離してみてもいいな。
朝の歩行はそういう前向きな気持ちも、運んできてくれる。
いろいろな面で、自分にとってはなくてはならない時間なのだなと思う。