ラジオに呼び起こされた記憶
微熱さんの音声配信を聴いている。
朝のマル太郎との散歩の時間や、夕方の晩御飯の準備時間が多い。
ある回では、コミュ障だったというお話をしていて、それはとても感動的なエピソードだった。コミュ障でも、いいことが必ずあったはず、と。
(まだお聞きでない方にはお勧めします。感動して娘にも話しました)
聞いているうちに、自分の高校時代の記憶が呼び起こされた。
今から、・・・えーと電卓で61-16と打つ。ガビーン!!もうこんなになるのか!・・・43~45年前( ;∀;)は、「コミュ障」という言葉はもちろんなかった。昔はなんて言っていたんだろう。「ネクラ」とかだったと思う。
中学時代は無邪気でわりと活発で、学校生活は楽しく明るかったと記憶する。
高校になると、少し離れた町へ電車通学になり、中学から一緒の子は3人だけになった。その頃8クラス編成だったから、まったく知らない人ばかりのクラスに分かれることになる。
高校の地元や、その周辺の市町村からくる人がほとんどだったから、私は、40人くらいのクラスの中で、一人だけ浮いてるような気がした。誰とも話せず、話しかけられもせず。せいぜい「うん」「ううん」「ある」「ない」。
だから、休み時間やお昼の時間、放課後が、とっても辛かった。
授業時間だけがほっとできる時間だった。自分のままでいられるし、みんなと同じことをしていればいいのだ。だれも私に違和感を持つ人はいないんだと。
休み時間はなにもすることがないから、本を読んでいるしかなかった。小学、中学の頃は、一人で落書きなんかしていると「何書いてるの?」とか「こんどはこれ書いて」とか、クラスメイトとわちゃわちゃしていた。
でも高校では、落書きしていても寄って来てはくれない。だいいち、1人黙々と落書きはしにくい。だからひたすら逃げるように、すがるように、文庫本を読んでいた。
そんな私にも、一時期、好きな歌を通じて友だちができバンドに誘われたこともあった。フォークソングや流行り出していたニューミュージックといったジャンルを放課後の音楽室で練習するくらいだったけど。
2年になると、クラス替えがあり、会話を続けられる友だちが1人できた。とても優しい子で、ほんわかしていて、気が合った。毎朝、どよーんとしながら教室に入るとすぐにその子を探した。
ある、どよーん過ぎた日、その子が欠席だったことがあって、私はこの日一日どうしていいのかわからず、2時間目の前に早退してしまった。毎日がその子頼みだったが、その子だって私のお守りをしてるわけではないし、誰にでも同じに仲良くできる子だった。
1人が辛くなってくると仮病を使ってよく休んだ。母は仮病だとわかっていたと思うが、訊きただすことなく、ただ受け入れてくれた。ありがたい事だったと思う。
3年生になり、欠席が多すぎて卒業が危ないから気を付けろと担任に言われて、ようやくエンジンがかかったくらいだった。
自分はどう見えていたんだろう。
高校卒業後30年たって、はじめての同級会があった。48歳。
みんなそれぞれ、昔の面影を残しつつも変わり果てている(笑)から、自己紹介の時間を設けた。
◯◯市に住んでいます。子どもは3人で1人は重度障害児で専業主婦やってます。
ちょっと微笑んでるつもりで、サラーっと話してみた。
食事の席になると、クラスでは活発で中心的な存在だった数人がそばに来て「バクちゃんも、大人になったんだねえ」と朗らかに話しかけてくれた。
へーーー、大人になった?
48歳で言われるか。
私ってそういう感じだったのか?
子どもっぽかったのか?危なっかしかったのか?まあ休んでばっかりいたしねえ。
卒なくちゃんと喋れて、大人になったんだねえ、って感じ?
でも、悪い気はしなかった。なんだかホカホカした。
私の事をそんな風にでも見ていてくれたのか。透明人間じゃなかったのか。
急に、そこに集まっているみんなのことが愛おしく感じられたのだった。
同級会は、多分あれが最初で最後だろう。
高校は私の暗黒時代だと思っていたが、このことがあって、ちょっと救われた。過去が書き換えられるって、こういうことなのかな。
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