今朝思ったことをいきなり
文章を読むのも書くのも好きだし、得意だったつもりだけど
noteに来たら、自分の好き具合のちゃらんぽらんさに絶望した。
努力も継続も辛い(読みはカライじゃなくてツライのほう)のも苦手な私は、そうは言っても、好きなことは大丈夫だろうと思っていた。しかしここでは違う。
好きだから苦しんでいる。好きすぎて悩んでいる。
本気の「好き」は、苦しくて、つらくて、うれしくて、幸せなんだ。
もやもやする、ぐるぐるとなる、迷路に入り込む。
思いが言葉にならない、みつからない。
進まない、展開しない、おちがつかない。終わり方がわからない。
恋みたいなもんですか?
自分は、恋をしてこなかったなぁと振り返ってみる。
辛くなると逃げる。断つ。
家族のことも、ちゃんと好きでいるだろうか。
衝突を避け、本音をしまい込む。
見たいところだけ見る。
ぬるく生きて来たと思う。
性格的には白黒はっきりしたいのに、世の中にはそうしちゃいけないことが多くて、白黒言いたければたくさんの考え抜いた言葉が必要で。
そんな言葉は持ち合わせないから、ただぬるく笑っていた。
それが大人の振る舞いだと、錯覚していた。
思い通りにならない所に、言葉は生まれる。
生きやすい場所では、だいたい、言葉はあり合わせで間に合う。
思い通りにならない所に、自分が生まれる。
思い通りにならないことを言葉にするとは、自分を生み出すことかもしれない。それは自分を見つめ、見たくないものを掘り返す、苦しい作業である。
だから私は逃げて来た、ぬるぬると、やり過ごしてきた。
すると言葉も逃げて行った。
うん、やっぱり、恋と似ていると思う。
noteにいる文章の達人たちは、文章で表現することに恋をしている。
いくらでももがいて、離れようとしない。
憧れる。
ときに呆れる。
呆れるのは、自分には到底行き着けないと思うから。
文章で表現するって、自分や世界の深みを泳ぎ回ることなのか。
私は文章が好きで得意、なんて、浅瀬でパチャパチャ遊んでいるのとは違うのだ。
それでも、この私の浅瀬の水も、毎日毎秒、海に向かって移動している。
そう願っている(干上がらなければ)。
まだしばらく、ここから足を洗うことは考えられない。
河口を目指すつもりで、何か書いていきたいと思う。
・・・という、いきなりの所感(笑)