連休三日目はおめでとう!
連休3日目は、友だちの結婚式に出席しました。
友だちは私の1才上です。
数年前に牧師さんだったご主人を亡くして、ずっと1人で牧会してきました。もともと小さな町の開拓伝道で、ずっと苦しい経営だったこともあり、存続を悩んでいました。
でも彼女は信徒が1人になっても、必要とされれば、歯を食いしばっても教会を諦めることはしないだろうと、私は思っていました。
そこに、思ってもみなかった素晴らしい出会いがありました。
その人は独身のまま30年ほどほかの町で牧師をしていましたが、今は引退されて、文章を書いたり、写真を撮ったり、音楽を奏でたりと、悠々自適の生活をしていたのです。
2人は、つい1年前に、聖書を学ぶ社会人コースで出会いました。
長い間クリスチャンとして生きて来て、さらにまた聖書を学びたいという気持ちの2人が、そこで出会ったのが素敵だなぁと思います。
2人は、彼女の教会で一緒に牧会して行くことに決めました。
友だちには5人のお子さんがいて、長女さん以外は、独立して遠方にいますが、式の日にはみんなの気持ちのこもったウエディングケーキを届けてくれました。
長女さんは次男と同級生。今は結婚して熱心なクリスチャンになり、この日も裏方になったり、司会進行を手伝ったり、最後は「新婦の娘」からの心のこもったお祝いメッセージを披露したりと、いきいき嬉しそうに見えました。
2人の恩師である牧師さんが司式され、新郎の教会から、新婦の教会から、また、亡くなった先夫である牧師さんのご兄弟など、たくさんの人に祝福を受けながらの、明るくて温かい結婚式になりました。
花嫁である彼女は、信徒であるとないとに関わらず、フラットで、隔てのない性格のため、クリスチャンではない友だちもたくさん招待され、嬉しい時を共有しました。
私は30年も前にこの教会で受洗しましたが、もうずっと、礼拝などには行っていません。不信仰なチンピラクリスチャンなのです。それでも彼女はなにかにつけては顔を見に来てくれ、お互いのずっこけ話で笑い、祈る時間をともに持ったりします。
私の信仰は彼女の信仰によって守られているのです。
神と人を思う人生を歩む彼女には、いつも尊敬の念を抱きます。
なにかが「できる」「そつなくこなせる」人ではなく、どちらかといえば
「できない」「たりない」が多いのです。
しかし、人を思うということにかけては、天下一品なのです。
人の悲しみや喜びについて、いつも心を傾けている人。
心を砕いて祈る人。ともに喜ぶ人。
彼女の大きな瞳は、いつも魅力的なのです。
還暦をすぎ、化粧っ気もない素朴さでしたが、浅黒い肌に白い歯を輝かせて笑う彼女は、ほんとうに美しい花嫁でした。