小春日和の贈り物
週に2回、実家に行っている。
高齢な両親と独身の弟が3人で暮らしている。
母は腰が曲がり、心臓が悪くて立ち続けるのも大変なので
もう料理らしいものもできない。
ずっとお弁当の宅配を利用している。
私は行くと、味噌汁を3日分くらい作る。朝食には必ず欲しいらしい。
ときどき持って行ったナスを焼いたり、冷やしトマトを作ったりする。
ずっと生協の食材を使っていたが、いまは朝食用の食パンとバナナだけになり、冷蔵庫はガラガラになっている。
キャベツと玉ねぎとナスを沢山入れて、煮物のような味噌汁を作る。
豆腐や油揚げは父が嫌いなのと、時候もあって傷みやすいから入れない。
必要なら掃き掃除や、冷蔵庫内を綺麗にする。
洗濯やトイレ、ふろ掃除は、父がヨタヨタと頑張ってくれている。
洗濯ものを脱水機から上げてくるのが父。
それを座ったままでハンガーにかけて、よっこらしょと立ち上がって干すのが母。そんな状態だから部屋干しだ。
弟は毎日の買い物や雑用、畑の雑草取り、御用聞きや、集金に来る銀行さんとのやりとり、町内の当番などをする。
この頃はキャベツをスライサーでおろす(朝食用)ことに慣れたようで、これで俺も料理をするようになるかなと、複雑に笑っていた。
母が骨折や、弁膜症の余命宣告をされた昨年末は、父も体のあちこち動かせなくなってもいて、私も内心では悲観的だったが、今は穏やかに毎日を送っているようだ。福祉サービスも使わずに、それなりに、二人とも安定している。
小春日和のように思う。
秋が深まるころに訪れる、ほっかりと明るく暖かい気候。
ふと、最後の恩恵をありがたく楽しんでいるような、切なさを感じる。
それは私の勝手な感傷でもある。
この小春日和が一日も長く続いてほしいと願うばかりだ。
先日行くと、父が「足を切った方がいいと思う?」などと聞いてきた。
殺伐としたこと言うなぁ。
足の痛みが辛くて、受診のたびに主治医に訴えてきた。しかしもう方法はない。「(脊柱管狭窄症のとき)頸椎を手術したんだって?それなら・・・ねぇ」と、方法はないことをほのめかす。
それでも受診のたびに困っているもんだからとうとう「足切る?治るかどうかは切ってみないとわからないけど」と言われたそうな。
この会話も会話、先生も先生である(笑)
「切った方がいいと思う?」も何もないもんだ。
88才にして、足を切る(足首辺りからストンと)とか。
人形じゃないんだから。
「朝から晩まで痛みで唸っているとか、命にかかわるようなことじゃないんだから、今さらそういうことしないほうがいいと思う」
「それに足や腕を切ると、まだ足があるような夢を見るって聞くよ」「目が覚めたとき、なんで切っちゃったんだろうって後悔するのは切ないねぇ」
聞いてる父に、手ごたえを感じた。もう「切りたい」とは、言わなくなるだろうと思う。
父の辛さは察することはできた。半身がしびれ、足腰はふらつき、日に何度か激烈に痛む。神経が束になっているような頸椎をいじったのだから、思わぬところで不自由が出てくる。ボタン一つはめられない。
言うことでなにか気持ちが癒えるのかも知れなかった。辛い気持ちを受け止めてほしい、その表し方が「足切りたい」になるんだろうか。
でも毎日のように聞かされる母や弟は、だからといって聴き流すこともできず、本気で対応しなきゃいじけてしまうだろうから、大変だったと思う。
「夢に出るらしい」みたいな、諦める呪文を置いてきた。
そして小さい頃から父には、「殺してしまえホトトギス」の怖さを感じてもいた。
たとえば、ここで「言いたいだけだろう」なんて態度を見せると、「よし、おれは切る、切ってやる」となりかねない人なのだ。
知り合いに、50歳代で足指を切り落とさなくてはならなかった人がいる。重い糖尿病のためだった。
その人の無念を思えば、むやみやたらに切る切らないと言っているのも、不謹慎だと思った。
そのことも、機嫌がいいのを見計らって伝えておいた。
多分父も、自分から諦めたことで、ほっとしているのではないかと思う。
先のことばかりを心配して、前もって準備しておきたい父は、ついこないだまではなにかイライラしていることが多かった。母や弟もそれに気を遣って、無理したり、心から笑えないようにも見えた。
それが、この頃は緩んできていると感じる。
父もゆるくなったし、母も表情が明るいし、弟もむしろ両親の縛りが緩んで楽々と見える。両親にとって、弟が頼れる存在になっているのを感じる(父はなかなか弟に任せようとしなかったから)。
福祉サービスを利用したがらないのをもどかしく思う頃もあったが、今はそれでもなんとかやってきたんだと、家族の粘りを感じる。
決して確かな力ではないけど、いつ崩れてもおかしくないあやうさだけど、それでも「なんとかしたい」気持ちで、ゆらゆらしながらも、立っている。
私はその周りをぐるぐるパトロールだけして、ちょっと口挟んだり手を出したりして、おっとっと!とやっている。
そんな中でも、笑いの量が増えているみたいなのが、とても嬉しいこの頃なのだ。