案ずるより産むがやっさん
一旦付添いを休んで、自宅に帰ってきました。
なんとなく「書く」勢いがついているので、何か書いておきたくなり。
きっとピリカグランプリのおかげです(^^)
とはいえ、何を書こうかな。
またいつものように、覚書きでも。
私がいなかった一泊二日のあいだは、いつもはバラバラな家族が
洗濯をしたり、ご飯炊いて味噌汁を作ったり、お惣菜の調達(作らない)をしたりと、意外と、分業でやってくれました。
ありがたいこってす。
ご飯炊きと味噌汁は次男がやってくれました。
根菜ときのこと豆腐を入れて。
お父さんは、そんなに頑張らなくていいよと言ったけど、俺が食べたかったから、と。うんうん、料理はそれが一番だよね!
だしの濃い(入れすぎた)、コクのある美味しい具沢山汁だったようです。
洗濯ものは次男も娘もそれぞれでやって、多分、洗う時にお父さんのものがあればどちらかがついでに洗う、って感じだったと思います。
みんながんばってくれているので、私もやる気が出て、今朝はトイレ掃除と洗濯とゴミ出しと、おかずをちょっとだけ、作りました。
生協の厚揚げが残っていたので、傷まないうちに、小松菜ときのこを合わせて煮びたしにしました。最後におろし大根を入れて、みぞれ煮っぽく。
*
手術のあとしばらくして長男と面会ができたので、おそるおそる行くと、ぱっちり目覚めていて、いつも通りの表情だった。まだまだ酸素マスクをして眠っているのかと思っていたら。私の胃カメラのときの麻酔みたいに、すっきり醒めていた。
「手術前もこういう感じでしたか」ときかれた。
まったく同じ。2時間の手術があったことなど考えられないくらいだった。
安心したら、自分の空腹と疲れ(待ちづかれ)が感じられた。
手術後は付添いの予定だったから、晩ご飯は昼前に買ってあった。
でも、いつ手術が終わって面会に呼ばれるかわからないから、ずっと待機していて、食べられない。
時間はどんどん過ぎて、予定は終了16時だったのに、始まったのが16時、やっと呼ばれたのが19時だったのだ。
あれこれ荷物をまとめて、病院を出たのが19時半。そんなに遅くはないが、もう眼がしょぼしょぼで、運転が怖い。今日も病室に泊めてもらいたい。レンタル布団代、今日のぶんも払ってあるし。
なんて考えながらも駐車場までの歩みは止まらず、車を出した。
もう家に向かうしかない。夜道が雨だし暗いし、対向車のライトは恐怖的にまぶしいし、後ろの車は迫るし、センターラインも路側帯もとぎれとぎれで見えにくいし・・・泊めてもらわなかったことを後悔した。(泊めてくれるかどうかはわかりませんが笑)
さて、お風呂も終わり、やっぱり家はいいなぁ、なんて布団にほこほこくるまっていたら、22時ころ、長男のいるHCUから電話で、どっきり。
でも急変などではなく、長男がデタラメに手を動かして、酸素吸入の管が絡まって外れるので、手袋をさせてもらいたい、という用件だった。
もちろんそんなのまったくかまいませんよ。
でも今は、転倒防止にベッド脇の柵をぐるっと付ける事にも、家族の承諾がいるご時世。のちほど「承諾書」にサインをくださいとのこと。
病院も大変だなぁと思う。
あ、そういえば、術後の長男を待つ間、待機室ではドラマがあったのです。
ドラマというには、大げさですが。
でも、人間て面白いなぁと思いました。
そのことは、また次の機会にでも、書けるかと思います。
長くなりそうなんで(笑)
*
今また病院から連絡があり、経過は良好、落ち着いているらしいです。
あと一晩HCUに泊まるので、私は今日もお役御免とのこと。
それにしても、入院のだいぶ前からあれはどうしよう、これはどうしようと考えて来たけれど、いざ始まって見ると、予想外なことばかり。
しかも「いいほう」の予想外で、ほんとうにありがたいです。
取り越し苦労しがちなんですが、取り越し苦労でよかったです。
うーむ、そうしてみると、私のnoteって、大半が「取り越し苦労note」とでも言えそうですね(;^_^A
案ずるより産むがやすし!ですね。
読んでくださることに感謝しかありません!
いつもありがとうございます<(_ _)>
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?