善意との闘い
10年前に義父が亡くなり、義母との同居が始まった。
義母はシャンシャンしていて、働き者で、細かいことは言わない。
言葉と本心はみじんもズレていなくて、わかりやすい。
付き合いやすい人だなと思っていた。今もそう思っている。
そして、皮肉やあてこすりや、こだわりを押し付けたり、
意地悪な気もちなんかこれっぽっちもない。
ありのままの人だと思う。
私は義母のそんな性格に安心し感謝もしていたが、
「果たしてどうなのか?」と不安になるようなことがあった。
その頃、知的障害者が主人公のドラマがあった。
私は見てはいなかったが、たまに流れる予告CMで
自閉症傾向の女性が葛藤しつつも成長していく物語だったと思う。
義母はそれを毎週見ていたようだ。
ある日、階下の台所に来るなり、そのドラマがこうだったよ、と
あらすじのようなことを言って、そのあとで
「〇〇ちゃん(長男)は、動けないから、楽でいいねぇ」と言った。
多分、自閉傾向の主人公が予測のつかない行動をして、周囲を戸惑わせるような印象的な場面があったのかも知れない。
そうは思ってみたが、私は絶句してしまった。何も言葉が出ない。
そりゃそうだけど。
義母にすれば、きっとそうなんだろうけど。
それ、私に言うのか?
頭の中がパニクっている間に、言いたい事は言ったのか義母は出て行った。
熱いモヤモヤだけが残った。
またある時は、義妹と出かけて帰ってきた日。
2人で次男の噂をしたのだろう、義妹も「〇〇くんはいい子だよね」と言っていたといい、その後から
「私がおろした4番目の子の生まれ変わりだと思うと、言ったんだよ」と。
また固まった。
それ、私に言うのか?
いや、心を残しておろさざるを得なかった子どもかもしれない。
昔は口減らしなど、悲惨な堕胎もあったし、と藁にも縋る思いで
「その子は何でおろさなきゃならなかったの?」と聞いてみた。
「なに、4人もいらなかったから」と返ってきた。
何だろうこの気持ちは。
いらなくて流した子の生まれ変わりみたいって?
言葉が見つからなかったが、なんだか、次男を、そういう流れに入れてほしくなかった。
義母にすれば息子の息子だろうけど・・・
私の息子を義母の子宮の中に入れてほしくない。
そんな気持ち悪さが残った。
きっともう義母は、それらの言葉は忘れてしまっているだろう。
何の邪心もない、素直な言葉なのだろう。
私はそれからずっと考える。ぐるぐる考える。
あれは、義母の善意からの言葉であるのは間違いない。
ご近所さんとの茶飲み話や、義妹との雑談で言う分には何も問題ない。
もしかしたら、私を励まそうとしていたり、栄誉を与えようとしていたのかも知れないとも、考える。
ただそれを、私に向けて言うのはまずいでしょうよ、と思うのだ。
まだしょっちゅう、突然の「善意の矢」は飛んでくるけど、
彼女はきっと「なんで急に機嫌悪くなったんだろう?」
くらいにしか思わないのだろう。
善意に満ちているから。何の邪心もないから。
義母はいつだって青天白日なのだ。
ここは、割り切ってやっていかねばと思っている。