b-monster HIROとJOE vol.1 【二人の経歴】HIRO編
-続きましてHIROさん経歴を教えていただけますか?
HIRO:私は横浜出身で、15歳までサッカーをしていたのですが、ダンスにも興味がありました。その頃妹が好きなアイドルがいたのですが、その路線とは違うな~って思っていて、まだ自分の目指すところを探していました。
そんな時今再ブレイクしているDA PUMPさんを当時テレビで見て「俺もDAPUMPになりたい!」と思いダンスを始めました。ただどうしたら良いのか分からず、芸能事務所に手紙を送ったところオーディションを受けることが出来、見様見真似でしか踊れなかったのですが合格しました。当時ダンサーって社交ダンスのイメージしかなくて、自由な校風だったとはいえ高校の先生にもなかなか理解してもらえなかったのですが、勉強時間がもったいなかったので指定校推薦で関東学院大学に入学、高校時代は横浜から大学時代は金沢八景から渋谷のスタジオに通って練習をしていました。
-すごいですね。毎日大変だったのではないですか?
HIRO:昼は学校、夜はアルバイト、オーディション、ダンスの練習という生活。アルバイトはダンスのオーディションがあるので融通が利く、アパレルが一番長かったですね。スタジオ代が安いので、夜にダンスの練習をしていました。今考えるといつ寝てるの?って感じで(笑)。当時、クラブイベントで表に立てるのも夜でした。
大学卒業間近、所属していた事務所には地方にも育成組織があり次々と他のグループがデビューする中、自分たちにはチャンスがないことを知り、事務所を離れ、大学卒業後は紹介もあり本格的にバックダンサーになりました。
バックダンサーとしてオーディションを受けてPVや単発の歌番組に出たり、大物歌手のバックダンサーをやっていたときの繋がりで、プロダクションのスクールでレッスンを持たせてもらったりと、表に立つ存在から一歩引いた関わり方もあるのだと知りました。当時は今よりも表に出るアーティストとバックダンサーの格差が大きかったですね。それを埋めてくれたのはEXILEさんだと思っています。しかし、目標で憧れだったスキルもある有名なバックダンサーですら稼げていないという現実を知り、スクールを開いているダンサーでさえ生活はギリギリ、そして30代までがメインという、寿命の短い職業としての大変さを痛感しました。
-それでフィットネスの業界に入ったのですか?
HIRO:初めはFEELCYCLEの募集を知りインストラクターになりました。ダンサーとしての寿命を延ばすために身体の機能をもっと知りたいと思ったこと、そして好きな音楽と振付に関われるグループレッスンということで、今まで関係ないバイトをしながら夜練習してダンスをするという、やるべきこととやりたいことと仕事とで分けていたのですが、昼間も興味があることに費やすことができるようになりました。
HIRO:プロフィール
-それでは、いよいよ立ち上げについてお聞かせください!