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リレーエッセイ「歌謡曲」(連想#19)
前回の投稿から半年以上間が空いてしまった。
いろいろ優先度の高い家庭の用事が続き、特に締め切りなしのこの企画が後回しになっただけだけれど、楽しみにしてくれている読者には申し訳なかった。。。(いないか。汗)
さて、高校時代からの友人はじめくんと、交互に続けているリレーエッセイ。
前回の僕の投稿「ヒーロー」を受けて、はじめくんが投稿したのが「アイドル」だった。
そのテーマをチョイスした理由が、「ヒーローと同じようなワクワク感をわれわれに運んでくれる存在はいないものか?」と考えを巡らせた結果「衣装やメイクで変身して、歌、ダンス、おしゃべり、存在感で、人の心を明るくしてくれる。いつの時代もアイドルは奇跡的な存在」ということだそうで、読んでいてとても嬉しかった。
なぜなら、僕が「ヒーロー」で最も伝えたかったのは、「自分ではとてもできないようなことを、勇気や信念を持って実現してくれる憧れの対象となる存在」という概念であって、その想いの部分がちゃんと伝わってバトンが繋がれたからだ。
そして「アイドル」というテーマもはじめくんらしくてナイスで、活き活きとした文章がとても面白かった。
あまりお互いに話したことのないテーマではあったけれど、何となく詳しそうだというのは知っていて、やはり彼にこういった好きなものを書かせると右に出るものがいないと思う。
なるほど、女性アイドルグループを中心に書いていたけど、コアなファンたちはこういう楽しみ方をするのかぁ。。「箱推し」とか言葉も知らなかったし、グループ内での役割とか着目してリスペクトしながら応援しているんだなぁ。。
僕自身の古い記憶に照らし合わせて「アイドル」を考えてみると、最初に気になったのは石野真子だったかな。ピンクレディーやキャンディーズはギリギリ記憶に残っている世代で。
その後松田聖子や中森明菜といったアイドル全盛期には、テレビの歌番組を中心に人並みにアイドルを楽しんで観ていたっけ。
、、という感じで昔懐かしむモードになったところで、今回のテーマは「歌謡曲」にしようと思う。
本当は、「アイドル」でバトンを渡された当初に連想したのは、”歌って踊れる人気者”ということから、その頃絶賛放送中だった、NHK朝ドラ「ブギウギ」だった。
それは、趣里さん演じる福来スズ子のモデルになった戦前からの大歌手「笠置シヅ子」さんが、日本で初めて歌唱とともに、派手なダンスパフォーマンスを取り入れたことから連想したことだった。
「ブギウギ」は本当に素晴らしいドラマで、作中に実際の笠置シヅ子さんのヒット曲、、「ラッパと娘」「東京ブギウギ」「買物ブギー」などなど、、が多く登場して、趣里さんの歌うステージシーンを観るのも楽しみのひとつだった。
そういった回想と、僕の歴代のお気に入りの歌手を色々ごちゃ混ぜに考えていたら、この際今回のテーマを「歌謡曲」にして、僕の思い入れのある曲や歌手を同時に語っていくことを思いついたというわけだ。
本題に入る前に少し言葉の定義を話しておくと、「歌謡曲」というのは日本の大衆音楽とか流行した曲をイメージしたのだけれど、既に古い言い方の感があって、1990年以降くらいからは「J-POP」と呼ぶ方が一般的だと思う。
今回1970年代からの僕が影響を受けた楽曲を、僕の成長記録や音楽活動とともに、だいたい時系列に紹介していこうと思うので、「歌謡曲」のテーマに「J-POP」の意味も込めて話を展開していこうと思う。
ちなみに僕は、バンドブーム(1980年代後半)の頃に多感な中学・高校時代を過ごした団塊Jr.世代で、本当の意味で人生の影響を受けたの曲は、1970年代から1990年代の曲だろう。
現在までの名曲と言ったら枚挙にいとまがないので、今回ここは割り切って1990年代の曲までの限定にして紹介していこうと思う。
今の若い世代の方々にはちんぷんかんぷんな文章になってしまうと思うが、そこはあらかじめご容赦お願いしたい。
では始めよう。
僕はテレビっ子で育ってきたので、物心ついた時には「キャンディーズ」の「春一番(1976)」や、「ピンクレディー」の「UFO(1977)」や、「山口百恵」の「プレイバック Part2(1978)」などが流れていて、華やかな衣装や舞台の映像とともに記憶に残っている。
春一番はこうしてみると古すぎるのでリアルタイムというよりは、解散コンサートの映像などで観たのかもしれない。
キャンディーズの3人の中ではスーちゃんが気に入っていたかな?センターは先ほど話題にも出した女優趣里さんの母で、ランちゃんこと伊藤蘭。偶然シンクロして不思議な感じだ。
そして「ピンクレディー」は、当時ザ・ドリフターズが声の出演をしていた大好きな人形劇番組「飛べ!孫悟空」のオープニングや番組内にも出ていたので、好きだった。特にミーちゃんがかわいかったなぁ。
でも、この頃は曲の良さに注目していたというよりも、スターやスーパーアイドルといった国民の誰もが知る眩しい存在の活動を、テレビで追うのが楽しいという感覚だった気がする。
そんな時代の中、小学校に上がる前後から音楽として最初に好きになったのは、やはりアニソンだと思う。
「タイムボカン」シリーズ、「勇者ライディーン」、「機動戦士ガンダム」、「Dr.スランプ アラレちゃん」、「ダッシュ勝平」、「ストップひばりくん」、「北斗の拳」。。。
挙げたらキリがないが、実はアニソンで一番好きなのは「超時空要塞マクロス」かもしれない。
オープニング曲も壮大なイメージがあって良いが、”僕はもう追いかけはしない〜”の歌詞で始まる、あのエンディング曲がなんといってもグッとくる。
今風の言葉で言えば、エモいとでも言うのだろうか。
さらに、マクロスの登場人物で、街の中華屋の娘から一躍アイドルに成長するリン・ミンメイ。正直、幼いながら当時の僕は彼女に恋をしてしまったようで、彼女の歌う「私の彼はパイロット(1983)」には歌詞の通りキューンと来てしまった(照)
そういう時期と並行して、歌謡曲シーンは、1980年代の幕開けとともに大きく変化が生まれたように思う。
「哀愁でいと (1980) 」の田原俊彦や 「青い珊瑚礁 (1980)」の松田聖子など、フレッシュな新人、印象的な曲が次々生まれてきた。
さらには「ギンギラギンにさりげなく (1981) / 近藤真彦」 、「センチメンタル・ジャーニー (1981) / 松本伊代」、そして「少女A (1982) / 中森明菜」など。。。この頃はテレビをどのチャンネルに回しても、アイドルが活躍していた気がする。
それもそのはず。少し調べたところ、TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』
をはじめ、フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』、そして1981年4月からは日本テレビ系『ザ・トップテン』が始まっていて、歌番組も全盛期だった。
この頃僕はなんとなくアイドルやスターといった存在感よりも、曲それ自体が持つメロディーの良さにも興味を持ってきたように思う。
その頃流行っていて、印象深いのは、「ルビーの指環 (1981) / 寺尾聰」や、「ウェディング・ベル (1981) / シュガー」 、「待つわ (1982) / あみん」 、「ワインレッドの心 (1983) / 安全地帯」 など。
しかも歌には歌詞があって、なんか面白いことを歌っているなぁということにも、この頃気づいた。
”くたばっちまえアーメン”って。。。?
”私待つわ。いつまでも待つわ。たとえあなたが振り向いてくれなくても”って。。。!?
そしてそんな中、彗星の如く現れたグループが、チェッカーズだった。
デビュー曲「ギザギザハートの子守唄 (1984)」で一気にブレイクした彼らは、立て続けにヒット曲を連発して、よく覚えているけど『ザ・ベストテン』に3曲同時にランクインなんて偉業を成し遂げていた。
この頃僕は小学校高学年で、クラスの女子はフミヤフミヤとキャーキャー言っていたけれど、男子だって結構楽しんで彼らの活躍を追っかけていた。
僕も御多分に洩れず、彼らに夢中になって、家で鼻歌をよく歌っていた気がする。
スター性、ファッション性、演奏とショーのクオリティ、若者に刺さる歌詞、、、当時の僕はこんな分析をできていたわけではないけど、全てを持っている彼らから音楽というエンターテイメントの面白さを実感させられたと言えるだろう。
それまでは、たまたま家のテレビで流れていたから、、と言うように主体性なく音楽に関わってきたけれど、僕はこの頃から、主体的に、より積極的に音楽番組を見るようになった。音楽好きを自覚していたと思う。
「ふられ気分でRock'n' Roll (1984) / TOM★CAT」。ハイトーンボイスが気持ちよかったなぁ。
「星空のディスタンス (1984) / THE ALFEE」 。ロックというジャンルはまだよく知らなかったけれど、ギター片手に熱唱するバンドスタイルはかっこいいなと思った。そしてコーラスにも感動した。
「桃色吐息 (1984) / 高橋真梨子」、「恋におちて (1985) / 小林明子」 。大人の色恋の情感に包まれた曲たちで、心に響いた。
「輝きながら (1984) / 徳永英明」。男性なのに透き通る声と圧倒的な歌唱力に驚いたなぁ。
「Romanticが止まらない (1985) / C-C-B」。コンピュータミュージックやエレキドラムの要素があって、 最新感が半端ないし、髪もピンクだし、すごい人たちが出てきたなぁとドキドキした。
「卒業 (1985) / 斉藤由貴」 。これはもう、自分たちもちょうど小学校の卒業の時で、なんか準備ができていないまま大人の階段を進まなければいけない感情が湧き出てきて、泣けた。。。
この頃の僕は今と比べると全然消極的で、まだ自分に自信なんてこれっぽっちもなかったけど、思えば音楽が代わり映えのない日々に彩を与えて、勇気づけてくれていたのかもしれない。
そんな流れを経て僕は中学生になった。
そしていきなり僕の音楽史に不可欠な要素が舞い降りてくる。『夕やけニャンニャン』の「おニャン子クラブ」だ。
中学で部活は陸上部に入ったけれど、終わって急いで帰るとフジテレビで生放送していたのがこの番組。そして司会の片岡鶴太郎、とんねるずらと共に番組を盛り上げていたメインの素人女の子集団が、オーディションで選抜された「おニャン子クラブ」だった。
グループで歌う「セーラー服を脱がさないで (1985) 」 。今考えるとなんとも不適切な歌詞だが、これが全国の若い男性を中心に大ヒット。
プロデュースは今でもAKBシリーズや坂道シリーズで日本中にブームを連発する秋元康。いやはや、すごすぎるとしか言葉が出てこない。。
そのうち「うしろゆびさされ組 」や「ニャンギラス」 など派生ユニットも出てきて、より盛り上がっていくが、同時に人気メンバー(おニャン子)たちがソロで活躍することも多くなった。
「あじさい橋 (1986) / 城之内早苗」 や「バレンタイン・キッス (1986) / 国生さおり」 。。。
当時の僕は誰推しだったのか?と言われると、どのおニャン子たちも個性豊かで明るくて応援していたので、特定の誰かに絞るのが難しい。はじめくんの言うところの「箱推し」だったように思う。
そんないつまでも続くと思っていた平穏な日々も突然の番組終了とおニャン子解散の宣言で終わってしまう。わずか2年半くらいだった。
卒業生を送り出すときの定番ソング「じゃあね (1986) / おニャン子クラブ」が、自分たちの卒業、ファンへのお別れの歌として解散イベントで歌われていたのには、本当に涙してしまった。
ちなみに解散からしばらくして卒業生たちが活躍することも多く、 僕のお気に入りの曲としては「ガールズ・オン・ザ・ルーフ (1987) / 渡辺美奈代」や 「プライベートはデンジャラス (1987) / 我妻佳代」だった。
こんな経験が教えてくれたこととして、お気に入りのグループやアーティストを応援することは楽しいということ。
「推し」という言葉が生まれる何十年も前のことだけど、まさにそれだ。
世の中は「STAR LIGHT (1987) / 光GENJI」が大ブームの頃だったが、僕として次にハマったのが「酒井法子」、通称のりピーだった。
ただ、年頃の僕はそんなことが周りにも家族にすら知られたくなくて、ビデオデッキで出演番組を予約録画しまくって、誰もいない時にひっそり鑑賞する、、なんて、ちょっとオタクのようなこともしていたなぁ。
曲としては「夢冒険 (1987) 」が特に好きだった。
そういった特定のファン活動とは別に並行して、世の中に流れる数々の歌謡曲がますます面白く感じていた時期だった。
引き続き各局の音楽番組は健在だったし、僕もこの頃はかなりアンテナを張って、良いバンドやアーティストを探すように観ていた。
「翼の折れたエンジェル (1985) / 中村あゆみ」は、早熟な少女の気持ちを歌った歌詞で、ハスキーボイスで届く印象的なメロディがかっこよかった。
「Get Wild (1987) / TM NETWORK」は、シティーハンターの主題歌で、小室哲哉の斬新な曲調がコンピュータミュージックに相まって、完全にクセになった。
「ロンリーチャップリン (1987) / 鈴木聖美 with ラッツ&スター」 は、当時なんのCMか忘れたけど、ニューヨークのマンハッタンの空撮映像をバックに流れていて、すごく大人な雰囲気を感じて好きな曲になった。
「ごめんなさい (1987) / BARBEE BOYS」 は、夕やけニャンニャンが終了した後番組の主題歌で、見た目に典型的なバンド構成、印象的な歌詞とメロディ、そして珍しい男女ボーカルということで、気になる存在になった。
「リンダリンダ (1987) / THE BLUE HEARTS」 は、NHKの歌番組で初めて演奏を観て、まず”ドブネズミみたいに美しくなりたい”で始まる歌詞に衝撃を受けた。そして一見汚い格好で跳ね回るぶっ飛んだ若者が、とても美しいメロディの曲を熱唱するギャップが心に刺さった。
「Marionette (1987) / BOØWY」 は、当時何度も『ザ・ベストテン』で1位を獲りながら、本人たちは一度も番組に登場しなかったので、なかなか曲を聞く機会がなかった。けれど、ラジオで聴くことができて「なるほど!」と頷くほどの印象的なメロディ、熱くなる演奏、心地よい声で完全に気に入ってしまった。(その後高校に入ってさらに大ファンになった)
さらに、一般的にはあまりメジャーではないけれど、「ANGEL'S NIGHT (1988) / PSY・S」 という曲も、美しいメロディーとアレンジのエモーショナルな曲でとても好きだった。
という感じで、僕の中学時代は、特定の歌手も応援しつつ、日本のロック・ポップアーティストを中心に積極的にさまざまな国内アーティストの音楽を聴くようになっていった。
そして、ただ聴くだけでは満足できなくなり、キーボード演奏をマスターしようと、中3の時に母親と「公立の高校受験に合格したら、キーボード本体とカセット教材付き通信教材を買って欲しい」と約束し、無事ゲット。
音楽を聴くだけの側から、演奏もする側への入り口にたどりついた。
というところで中学卒業となった。
そしていざ高校生活へ!
自由な校風がウリの公立高校で、そこに期待して入学したので、ワクワクとドキドキで胸がいっぱいだった。
そして期待通り、高校時代は気の合う仲間がたくさんできて、クラスの文化祭の準備やら、部活動、バンド活動、委員会活動、甘酸っぱい恋(一方通行だけど。汗)、そして有志団体での自主制作映画やら、とにかくいっぱい楽しんだまさに青春の時代だった。
この辺のことは今までのエッセイでも所々で取り上げている。
そんな高校時代。1年生の時にはじめくんと同じクラスになった。
そして彼も大の音楽好きというのと、世はまさにバンドブームの時代で、同級生たちとバンドを組んで活動するというのが割と当たり前だったので、同じクラスのメンバーでバンドを組むことになった。
ただ、有名バンドのコピーではなく、知る人ぞ知るマニアックなバンド「有頂天」のカバーをすることになったのだった。
今や劇作家や演出家として一部で人気があるケラリーノ・サンドロヴィッチ、通称ケラさんが、その当時主催していたテクノ系バンドで、シュールな歌詞と常識にとらなわない曲調と構成の曲たちが特徴だ。
もちろん僕も知らなくて、最初に聴いたのは、彼らが「チューリップ」の「心の旅 (1973) 」をロックバンド調にアレンジしてカバーしていた 「心の旅 (1986) / 有頂天」 だった。
中学最後からの準備もあり、僕は密かな思惑通りキーボード担当に。
ピアノを習ったことがなくて独学だったけど、早いうちに音楽コード理論の本を買って基本的なことは理解できたし、夏バイトして買った、より高価なキーボード(KAWAI K1-Ⅱ)で音色作りもこだわっていたので、高校生にしてはなかなか再現度が高いバンド活動ができたと思う。
高1から高3までずっとスタジオ練習して、高3の文化祭の後イベントでは全校生徒が集う校庭のステージで演奏したことが最高の思い出だ。
そんな音楽仲間に囲まれて、今まで聴いてなかったアーティストや曲の情報もどんどん入ってくるようになった。
それに、毎日バス・電車通勤で行動範囲も広くなり、学校帰りに音楽雑誌を買ったり、レンタルCDショップでお気に入りのアーティストの作品をどんどん借りるなんてことができるようになっていた。
ちなみに、当時みんなWラジカセやCDコンポというものを持っていて、借りた音源をカセットテープにダビングして楽しんでいた。
まずはBOØWYのアルバムCDを少しずつ借りて、アルバム全制覇した。
メロディアスな曲の数々にも、氷室京介のかっこいい声にも、布袋寅泰の超絶ギターテクにも夢中になった。
「渡辺美里」も大ファンになった。小室哲哉による「My Revolution (1986) 」が印象的で、そこから広がっていって、毎年出るニューアルバムを買うのも楽しみだった。特にアルバム「Ribbon」は今でも心のベスト5に入っている。
そして高校3年の時にはじめくんたちと行った自主制作映画企画で、僕が監督・脚本をした作品は、全編にわたりBGMに渡辺美里の曲のみ使用していて、今でも彼女の曲を聞くとそのシーンの数々が思い出される。
さらに「I LOVE YOU (1983)」で有名な「尾崎豊」。
本当に大ハマりして、いつも心に彼の名曲たちが流れていたように思う。
きっかけは部活の同級生Iくんからの強烈なおすすめだった。
彼は部室でも合宿でも、暇さえあればウォークマン(ポータブルカセットプレーヤーのこと)のイヤホンを耳に当て、目をつむってずっと尾崎を聴いていた。
僕が、軽い気持ちで「何聴いてるの?」と尋ねたところ、待ってましたとばかりに尾崎の素晴らしさを熱弁され、曲を聴かされたというのが最初だった。
それが「核(CORE)(1987)」で、10分弱もある尾崎の中でも最長の曲で、静か過ぎるバラードで始まったかと思えば、徐々に早いビートとなり、激しいシャウトが始まるというかなり熱い曲だった。
そんなこんなで僕もどハマりし、教えてくれたI君には感謝している。
今もカラオケに行くと尾崎をいっぱい予約してしまうが、若い世代と行く時にはあまり入れすぎないよう肝に銘じている。
あとハマっていたといえば、はじめくんから教えてもらった「THE NEWEST MODEL」で、実力派の本格的ロックバンドで、特にピアノの演奏が最高だった。とりわけ「こたつ内紛争 (1989) 」が好きだ。
ちなみに、その頃「紅 (1989) / X JAPAN」なんかも流行っていたけれど、僕はそういうハードロック より、もう少しソフトな、聴きやすいメロディアスなロックやポップが好きだった。
多分ソニー系が出版していた月刊音楽雑誌「PATI-PATI(パチパチ)」を愛読していて、そのようなアーティストが多かったというのもあるし、同じくEPICソニーがやっていた音楽番組「eZ」(イージー)をよく観ていたから、ポップ色が強いのが好みになったのかもしれない。
本当は全曲コメントをつけたいところだけれど、もうずいぶん文章が長くなっているのでよく聴いていた好きな曲・アーティストを羅列すると、
「フレンズ (1985) / レベッカ」、「GLORY DAYS (1988) / 大江千里」 、「You Were Mine (1988) / 久保田利伸」、「Runner (1988) / 爆風スランプ」 、 「大迷惑 (1989) / ユニコーン」、「ダイアモンド (1989) / PRINCESS PRINCESS」 、
「だいすき (1989) / 岡村靖幸」、「ZOO (1989) / ECHOES」、「浪漫飛行 (1990) / 米米クラブ」 などなどだ。
もちろん中学から引き続き、TMネットワークやBARBEE BOYS、THE BLUE HEARTSもよく聴いていた。
その一方で、ラジオで70年代のフォークソングの名曲を見つけては、カセットに録音するなんてこともやっていて、「神田川 (1973) / かぐや姫」、「22才の別れ (1974) / 風」、「なごり雪 (1975) / イルカ」なんかもこの頃知ったと思う。
そういえば、部活の同級生にA君がいて、彼は音楽に詳しくないけど、「知りたいので教えて欲しい」と言うので、(待ってましたとばかりに)僕は彼のために今まで述べてきたようないろんな曲を収めたマイ・ベスト盤のカセットテープを作成していたことがある。
結局90分テープ3本くらいになった記憶で、せっかくなので、作成したマスター音源を僕個人用にもさらにダビングして、よく聴いては楽しんでいたっけなぁ。
さて、この頃の音楽はまだ書きたいことがあって、皆さんは「いかすバンド天国」、通称「イカ天」という深夜の音楽番組 をご存知だろうか?
世はバンドブームのバンド戦国時代。新たな人気バンドを発掘するオーディション番組で、数名の審査員の辛口審査に5週連続勝ち残ったらメジャーデビュー決定!というノリの良い番組だった。
初期からずっと観ていて毎週楽しみで、特に「エヴリデイ (1989) / JITTERIN’JINN」ではキャッチーな楽曲と歌詞に魅了されて、彼らのデビューアルバムは予約して買った。
そして「さよなら人類 (1990) / たま」は、未体験の不条理ワールドが炸裂で、 例の「有頂天」もシュール系でそういうのが好きだったので、彼らの活動からも目が離せなくなった。”今日人類が初めて木星についたよ〜”って?
あと、沖縄からの「恋しくて (1990) / BEGIN」も名曲で初めて聴いた時には震えたなぁ。
で、この「イカ天」の話、同世代では全国共通の話題かと思っていたら、今現在住んでいる関西地方ではどうやら放送していなかったようで 、今でもこの話題で盛り上がれず残念だ。
さて、ずいぶん長くなってきたので、大学時代〜1999年に結婚するまでの90年代の音楽の話をして終わりたいと思う。
高校時代にバンドを組んで、そのまま大学になってもはじめくんとライブイベントを企画したりしていて、バイトも掛け持ちで忙しい毎日を送っていた。
高校の時以上に自由な時間も増え、音楽仲間づてにどんどん交流の輪が広がっていたこの時期、僕的には世の歌謡曲を聴くよりは、音楽を奏でる、、、というか、今思えばバンド仲間たちと一緒に音楽活動したり語り合ったりすることの方が楽しくなっていた。
そんな中、高校時代のバンドメンバでいつもつるんでいたO君に「YMO (イエローマジックオーケストラ)」の魅力を教えてもらい、コンピュータミュージックを一緒にかじったことがきっかけで、打ち込み系(PCのソフトで音符情報を入力して自動演奏)のテクノバンドユニットを結成することになった。
で、最初に打ち込んだのが、「ライディーン (1980) / YMO」だった。そんなわけで、当時は「YMO」をよく聴いていたなぁ。。。
あと大学の文化祭で、先輩のバンドに誘われて「RCサクセション」を演奏したことがある。それまでよく知らなかったけど「雨上がりの夜空に (1980)」など名曲も多く、一時期よく聴いていた。
あとは、ギターも大学時代後期に始めていて、鍵盤で既に音楽コード理論を知っていたからか、ギターコードはかなり早く習得できた。
とくにF系、Bb系などのバレーコードは、そのままの指の形でフレットを右に半音、全音あげて良いだけなのでわかりやすかった。
ギターでのバンド演奏といえば、大学の構内で行われたライブイベントに、はじめくんやバンド仲間と「JUDY AND MARRY」通称ジュディマリのカバーバンドでギターを演奏したこともある。
けどそのイベントでは、チューニングが狂ったりで大失敗して、かなり落ち込んだ苦い記憶が。。。
でもそう、この頃僕はジュディマリが大好きだった。紅一点のボーカルYUKIを中心とした超絶テクの4人組バンドで、好きが高じて人生初のファンクラブにも入会していた。
どの曲も好きだけど、「Hello! Orange Sunshine (1994)」は、彼ららしさがよく詰まっていると思う。
ファンクラブといえばもう一つ。
「川本真琴」」にもめちゃハマってファンクラブに入っていた。
確かカウントダウンTVで初めて演奏を観た瞬間に、体に衝撃が走ったのを覚えている。曲として一番好きなのは「DNA (1996) 」だ。
その頃流行っていて、僕も結構好きだった曲を列挙したいと思う。
「どんなときも。 (1991) / 槇原敬之」、「あなたに会えてよかった (1991) / 小泉今日子」、「涙のキッス (1992) / サザンオールスターズ」、「愛し愛されて生きるのさ (1994) / 小沢健二」、「innocent world (1994) / Mr.Children」、「空も飛べるはず (1994) / スピッツ」、「LOVE LOVE LOVE (1995) / Dreams Come True」などなど。
そして、大学卒業後、しばらく経って今の奥さんと知り合って結婚する頃に流行っていたのが「Automatic (1998) / 宇多田ヒカル」、「Love, Day After Tomorrow (1999) / 倉木麻衣」、「LOVEマシーン (1999) / モーニング娘。」などだった。。。
さて、今回のテーマもこの辺で終わりたいと思う。
本当は2000年以降も書こうと思って、リストは作っていたものの、眺めるとやはり1990年代までに聴いていた音楽に比べると思い入れが少ないように思えたし、長くなりすぎたので今回は割愛することにした。
こうやって振り返ると、僕はあまりマニアック路線には行かず、本当に日本の流行歌を中心とした歌謡曲ばかり聴いていたようだ。
よく、音楽仲間と飲んでいて洋楽の話になったり、知る人ぞ知るアーティストの話になって、ついていけないなんてこともあるけれど、まぁ、普通に知り合ったばかりの人や、音楽には触れてこなかったような人とは、流行歌の話で盛り上がれることができるのは楽しい。
あとは、最近はよくテレビで「昭和」「平成」「令和」の三世代で楽しめる音楽番組も増えてきているけれど、観ながら一緒に口ずさめるのも楽しい。
最後におすすめしたいことが。
僕は一般的に「歌本」と呼ばれる、日本の新旧の人気歌謡曲の歌詞がぎっしり掲載された厚めの本を何冊か持っていて、歌詞の上に音楽コードが書いてあるので、鍵盤やギターを弾きながら歌うのが今でも僕の一番の趣味になっている。
もしみなさんが楽器経験が無くても、ギターやウクレレ(僕も弾けないけど)などのコード演奏は取り組みやすいので、是非そうした家での弾き語りにチャレンジしてみてはいかがだろうか?
楽器を弾かなくても、ただ歌うだけでも面白い。別の言い方をすれば家カラオケができて、とても楽しいのでおすすめしたい。
また思いの他長い文章になってしまったけど、読んでくれた方が、それぞれの心のヒット曲を思い出しながら読んでいただけたなら幸いである。
それでは、はじめくん。お待たせして申し訳なかったけど、なんとか完成させたので、また次もバトンを渡します。よろしく!