抛塼引玉 (正法眼蔵拾い読み) 2
抛塼引玉の常健の故事を調べてみました。
https://pedia.cloud.edu.tw/Entry/Detail/?title=拋磚引玉
在文獻上,和「拋磚引玉」這句成語相關的傳說,最有名的大概是唐代詩人常建和趙嘏的一段故事了。相傳常建很佩服趙嘏。有一次知道趙嘏要來到蘇州,心想趙嘏必然前去靈巖寺遊覽,於是先在寺裡牆壁題上:「館娃宮畔十年寺,水闊雲多客至稀。」這首詩他故意只寫兩句,留下後面兩句,就是希望趙嘏看了以後能補上。等趙嘏前來遊覽時,果然在這兩句詩後補了:「聞說春來倍惆悵,百花深處一僧歸。」意致高妙,確是好詩。後人認為常建就是在「拋磚引玉」,這個故事見載於《談徵.言部.拋磚引玉》。
談徵にある故事が記されています。機械翻訳を使いながら読んでいくとこんな感じでしょうか?
文献上、「拋磚引玉」という成語に関連する最も有名な伝説は、おそらく唐の詩人常建と趙嘏の物語です。伝説によると、常建は趙嘏をとても尊敬していました。趙嘏が蘇州に来ることを知り、必ず霊巌寺を訪れると思って、彼は寺院の壁に次のように書きました。「館娃宮畔十年寺 水闊雲多客至稀」。彼は故意に前半の二句だけを書き、次の二句を残して、趙嘏がそれを読んだ後に補うことができることを望んでいました。趙嘏が訪ねてきて、彼はこれらの二つの句の後に期待通りに補いました。「聞說春來倍惆悵,百花深處一僧歸」。趣は高雅で確かに良い詩です。後世、常建が「拋磚引玉」であったと考えました。この物語は《談徵.言部.拋磚引玉》に見られます。
常建は「開元15年(727年)の進士」、趙嘏は「武宗の会昌4年(844年)の進士」とされますから、常建が趙嘏を知ることは不可能で、この伝説はフィクションと断定して良いでしょう。
館娃宮畔十年寺 水闊雲多客至稀
聞說春來倍惆悵,百花深處一僧歸
詩を調べていると、白居易の靈巖寺(『三體詩』では趙嘏の作とする)とほとんど同じです。以下がオリジナルの詩です。故事に引用されている詩と異なっているところを強調しました。
館娃宮畔千年寺 水闊雲多客到稀
聞說春來更惆悵 百花深處一僧歸
千年寺(千年の時を経た寺)が十年寺になっているのは文字認識の誤りで千が十になっているのかと思いましたが、別のサイトでも十になっているので、わざと荘重さを消し去るために、意図的に変更されているようです。他の変更点は意味的に変わりません。私訳してみますとこうなります。
「館娃宮のふもとに千年の時を経た寺がある。湖は広く、雲はしきりに湧きいでて、客人が到ることもほとんどない。春が来ると、さらに胸が締め付けられるような趣が深まり、多くの花が咲き誇る中、一人の僧が帰ってくるのみと聞く。」
館娃宮(かんあいきゅう)
「娃」は美女の意、呉王夫差が硯石山上に築き、西施を住まわせた宮殿。