抛塼引玉 (正法眼蔵拾い読み) 1
道元の正法眼蔵・坐禅箴に抛塼引玉という言葉があります。面白い言葉なので検索すると成語でした。英語で言えば idiom ですね。ところが坐禅箴の現代語訳や解説を読んでも成語の意味で読み解いているものを見かけませんでした。これだけ基本的な文献で数多の研究者が見落とし、素人が気づくようなことがあるとは思えないのですが、成語として読むとどうなるか記してみたいと思います。
抛塼引玉は「ほうせんいんぎょく」と読みます。
抛は「なげうつ、すてる」(放物線はもともと抛物線と書かれていました。抛が当用漢字から外されたので、「同音の漢字による書きかえ」で放が代用されることになりました。)
塼は「かわら」ですから、表面的な意味は「価値の少ないものを投げ捨てて、より価値の高いものを手に入れる」ことになります。
検索すると兵法三十六計のWikipediaが出てきました。最初のところを引用します。
抛磚引玉(ほうせんいんぎょく)は、兵法三十六計の第十七計にあたる戦術。読み下し「磚(レンガ)を抛げて(投げて)、玉(宝石)を引く」であり、日本の諺の「海老で鯛を釣る」とほぼ同意である。
本来、「抛磚引玉」は、唐代の詩人、常建の故事にちなみ、自分がまず未熟な意見を述べたり、つたない作品を見せたりして、それに釣られて他人が自説を語ったり、詩作を行ってしまうよう仕向けることを言う。転じて、自分にとっては捨ててもよいものを囮として、敵を誘き寄せる作戦を指す。
典拠の兵法三十六計は魏晋南北朝時代の中国の兵法書とあるので、これが一番古いのかと思いましたが、1940年代に再発見されて17世紀頃の成立とみなされているようなので、景德傳燈録の典拠の方が古いようです。
磚(塼の異体字)がレンガと読み下されていて、私は塼は平たい屋根瓦だと思い込んでいたので戸惑いました。
漢和辞典[漢語林]でその成り立ちを見ると次のように説明されていました。
会意兼形声。叀は、釣り下げたまるい紡錘を描いた象形文字。專は「寸(て)+(音符)叀」。紡錘は、何本もの原糸を一つにまとめ、かつ一か所にとどまり動揺しないので、そこから専一の意を生じた。また、まるい意を含み、甎・磚(まるいかわらや石)などの原字である。
中国語辞典でも成語として使われています。
https://cjjc.weblio.jp/content/抛砖引玉
白水社 中国語辞典
抛砖引玉
((成語)) ((謙譲語)) (れんがを投げて玉を引き寄せる→)自分の未熟な意見をまず述べて他人の価値ある意見を引き出す,立派な意見を引き出す呼び水とする.
小学館 中日・日中辞典 (第3版)
抛砖引玉
〈成〉れんがを投げて玉ぎょくを引き寄せる;〈喩〉たたき台にする.▶何か発言するとき,自分の未熟な見解を述べて他の人の立派な意見を引き出すという意味に用いることが多い.
例文
我先发表一些个人的看法,目的是抛砖引玉,敬请大家指正
先に愚見を申し述べましたのは,ご高説をうけたまわるのが目的でございます,どうかご叱正をたまわりますよう.
こうしてみると原義には兵法三十六計のような狡賢さのニュアンスがなく、へりくだって相手の優れたところを引き出そうとする謙譲の表現であるように思えます。
景德傳燈錄の典拠の方をみてみましょう。
「大衆晩參師云。今夜答話去也有解問者出來。時有一僧便出禮拜。師云。比來抛塼引玉。却引得箇墼子」景德傳燈錄.卷一○ 趙州觀音院從諗禪師
師云以下を訳すとこんな感じでしょうか?「もともと、塼・かわら[焼きを入れたもの・自らの言動の謙譲的表現]を投げかけて、尊い玉[優れた問い・悟り]を引き出そうとしたのに、墼子(塼よりも更に劣った日干し煉瓦の土塊)が出てきたわい」
語釈:比來=從前(以前,これまで)、原來([当初・以前と比べて]もと,初め,当初)/ 墼[ケキ・キャク]=未燒的磚坏、小型の辞書では『漢字源』のみに墼の項目があって、「れんが。日干しの煉瓦。また、れんがの生地」とあります。