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Life is Strange Double Exposureをプレイしました

一応プラチナは取りました

Life is Strange Double Exposure
(ライフイズストレンジ ダブルエクスポージャー)
発売日:2024年10月30日(通常版)
価格:7678円(通常版)
ハード:PS5
プレイ期間:10/31〜11/4
プレイ時間:17時間(2周分)


マックスが帰ってきた

10年後のマクシーン・コールフィールド

初代「Life is Strange」の舞台、オレゴン州アルカディア・ベイの事件から10年、28歳になったマックスが今作の主人公として帰ってきた。
ざっくりと序盤のあらすじを述べると、彼女はアルカディア・ベイを離れてからは根無し草のように各地を転々としながら写真家としての活動をしていたが、その間に幾つかの賞を取ったことにより、バーモント州にある「カレドン大学」から客員教員としてのオファーをもらうことになる。

サフィヤ・ルウェイン・ファヤード。アラブ系

カレドン大学に所属しながら写真家としての活動をSNSで続けて半年ほど経ち、大学近くの廃墟となったボウリング場にカレドン大学で詩を専攻しているサフィと訪れるところから今作のストーリーが始まる。サフィはカレドン大学の学長ヤスミンのひとり娘であり、高いカリスマ性と抜け目のない人間性、そしていつもどこか暗い部分のあり、自分の世界に引きこもりがちなマックスの背中を押す良き友人である。

一番右はサフィの親しい友人、天文学専攻のモーゼス・マーフィー

そんな彼女は詩の創作において一定の評価を得ており、彼女の詩作が出版化されるというビッグニュースが明かされて喜ぶのも束の間、突如かかってきた電話に動揺の隠せないサフィは大学近くの高台へと去ってしまう。ただならぬ様子のサフィを追いかけると、周囲の様子がどんどんとおかしくなり、そして聴こえる銃声。高台に着くと、サフィはすでに撃たれて亡き人となっていた。

違う世界が見えるようになる

翌朝、あまりにも突然の出来事に心の整理ができていないマックスは、悲しみを共有する友人モーゼスと別れたのち、聞こえるはずのない「そこにいないモーゼス」の楽しそうな話し声を聞く。声の聞こえる先に手を伸ばすと、時間や場所を共有しているのに「そこにいない」人たちが見えるようになり、モーゼスの声を頼りに着いていった先には、なんと昨晩撃たれて絶命したはずのサフィの声が。サフィはどうやらマックスとの食事の約束をすっぽかされているようだったが、マックスはどうにかして彼女に自分に気付いて欲しいと強く願った結果、マックスは世界線を裂き、サフィが生きている世界に入れてしまった。

ー「サフィが死んだ(Dead)世界」と「サフィが生きている(Living)世界」ー
どうしてマックスはこれらの世界を行き来できるようになったのか。そしてどうしてサフィは死んでしまうことになってしまったのか。その原因をふたつの世界のそれぞれの側面から、サフィの死に取り巻く真実を明かしていくといった、ミステリアスなストーリーラインとなっている。

以下、結末と過去シリーズ含むネタバレを含みます。

マックスの新しい「力」

その場にある「別の世界」が見える

先述の通り、マックスは今作において「サフィの死」というショッキングな出来事を通じ、アルカディア・ベイの事件がフラッシュバックし、その強烈なストレスから「別の世界線に入る」能力に目覚める。

これは公式のコミックスシリーズでのマックスの能力

これはLiS公式の続編コミックスシリーズの設定を一部踏襲しており、アルカディア・ベイを出たマックスは、パラレルワールドに飛ぶ能力に目覚めている。コミックスシリーズとの違いは、コミックスシリーズではマックスは自身の力で別の世界線を自由に行き来することはできず、時間改変の能力を行使するとさらに違うパラレルワールドが生まれるという設定に対して、今回のゲームでは「特定の二つの世界を自由に行き来できる」能力となっている。

これはコミックスシリーズの主要人物のひとり、トリスタン・タナカの能力(パラレルワールドをほぼ自由に行き来できる能力)に近しいものだと理解している。

ポラロイドカメラも現行世代へ

このゲームのサブタイトル「Double Exposure」は日本語訳すると「二重露光」、ポラロイドカメラ(ポラロイド社のインスタントカメラのことを指すのを30年越しに知った)やフィルムカメラで写真を撮った後にフィルムを巻かずにおなじフィルムにもう一度露光させ、2枚の写真を重ねるという手法。今のポラロイドカメラには標準で付いている機能であり、写真家となったマックスの主な仕事用具はデジカメである傍ら、学生時代から持っていたインスタントカメラも使い続けていた。今作はこのサブタイトルになぞらえ、人の「二面性」、物事の「二重性」といったものを随所に見ることになる。

時間遡行の能力は意図的に封印していた

話をもとに戻そう。新しい能力に目覚めたマックスなのだが、そもそも彼女はもともと持っていた時間を巻き戻す(Rewind)能力を使うことへの大きな抵抗がある。当初は親友を助けるために衝動的に目覚めた時間を巻き戻す能力。オリジナルのLiSでは彼女はその力を存分に、時に都合よく使った結果「親友」か「親友以外の全て」のどちらかを犠牲にしなければならない究極の選択に陥ることになった。どちらにしても彼女には不幸な選択であったことには間違いはなく、その結果彼女はその能力を使わないように封印することにし、その封印とともに彼女は内向的な性格をさらに強化していった原因でもある。

「向こう側の世界」の会話を盗み聞いたり

「いくら過去を変えようとしたって、いいことなんか何もなかった」
とはあるが、今作ではマックスが同じ時間軸のふたつの世界を行き来することにより、並行世界の同一人物をうまく使ってわからないことや、違った側面から物事を見るといったところがゲーム性を形作っている。当初はその能力でサフィがなぜ元いる世界で死ぬことになったのかを知りたいと思っていたのだろうが、サフィの生きている世界でもいずれ元いた世界のように彼女が死に至る可能性が示唆されており、結果マックスはサフィの生きている世界の彼女も守ることを決心する。過去を変えるのではなく、来るべき未来を変えたい。そのために与えられた能力を使って事件を明らかにしたい。といったスタンスが、作中の彼女の行動原理にもなっている。

実際、時間遡行能力は肝心なところまで使わずに置いていたので、本当の意味で「最後の手段」だと思ったのだろう。それで結果的に世界はさらに歪むことになったのだが…。

わからないまま、どうしようもないまま

マックスの旅路は続く…で締められる

今までのシリーズの中でも、今作は特に結末が製作陣にとって「Determined(方向づけ)」されていたゲームのように思える。Life is Strangeの前日譚のBefore the Stormのように完全に結末が固定されているものはあるが、今回は「次回作に繋げる終わり方にする」という印象を受けた。
このゲームの大きな特徴である究極の二択「最後の選択」は、どっちを選んでも結末は何も変わらない。なぜなら、能力の発現のトリガーとなり、今作の一連の騒動の黒幕でもあった母親に対し、復讐者となり超能力者として生きる覚悟を決めたサフィに、能力を使うなという説得は最初からほぼ無駄であったからだ。

そう、何も解決していないのである

結局のところ、この作品における一連の事件の「真相」は全く明らかになっていない。真相はルーカスがサフィにのみ伝え、肝心の黒幕である母親はマックスに対しては口を閉ざし続けている。別のシーンでサフィの死を調査する刑事が「ドッペルゲンガー」として並行世界の人間と接触した瞬間に対消滅するという衝撃のシーンがあったが、あれについても、並行世界のほうの時間軸が歪んでいる(前日であったこと)が全く説明されていないし、マックス以外に並行世界が見えるようになる理由の描写も何もなく、ただただホラー的な展開で消費されている。

このシーンは、前展開におけるレジ―が自身のドッペルゲンガーを見て恐怖する展開、そしてその後の「もうひとりのマックス」と接触をためらうイベントを印象付けるためではあるのだが…それにしても雑なように思える。

そうだよ!!

ストーリーを通しで見れば、現時点ではマックスは新たな能力に発現し「余計なこと」をしたようにしか思えない。なぜなら、サフィの能力は単独で「並行世界」を超えるものでなかったからだ。今作の収集要素である「各所の落ちているポラロイド写真」は、おそらくマックスが並行世界で能力者として暴走するサフィを撃った世界のものだと推定されるが、サフィが死んだ世界でマックスが能力を行使して真相を暴こうとしたことそのものが今作の原点にあるような気がする。

真相を暴かないと、デジカメの写真からマックスが逮捕される展開となってしまうのだが、それもおそらくその世界を創る原因となったのがマックスの「写真のタイムラインに戻る」能力だったので、それこそ鶏が先か、卵が先かという話でもある。作中では、マックスがサフィの死の写真のタイムラインに遡行したことにより、未来が改変され(それは、サフィに対して銃を構える写真を撮られるときのマックスの立ち位置が異なることからわかる)、結末の「一緒になった」世界が形作られてしまったのだろう。

このセリフを言わせたかったんだろうなって

今作の位置づけとしては、マックスの内面的な成長を描きたいという思いがまずあって、その結論が「アルカディア・ベイ以降、自身の人生にとって大きな選択から逃げてきたマックスが、再び人生の困難に立ち向かうことを決意すること」であり、その対比として「自分の超能力で世界を自身の思うように改変していきたい」と思うサフィを登場させたのだろう。

なぜ初代主人公であるマックスを登場させたのに、本作がナンバリングタイトルとなりえなかったのかは、ひとえにこのストーリーつくりを前提としていたからであろう。自身の選択で結末が変わらない、変えられないLife is Strangeにナンバリングタイトルは与えられないと、おそらく製作陣も理解しての作品であったと、私は思い込んでおく。

ただ、今作では、先行体験としてUltimate Edition購入者は発売日二週間前から第2章までプレイできたのだが、第二章の終わりの展開は確かに全く予想がつかず驚きがあり、第三章でも多くのプレイヤーに驚かせるものであったことは想像に難くない。その点のストーリー作りの巧さは感じたし、最後がどうしようもないな。と思った以外はそれなりに良いところもあったと思う。先述の通り、ゲームのサブタイトルになぞらえ人の「二面性」がいろんなところで出てきており、そこは純粋に面白いと思った。

新たな「超能力者」の発現

この「鶏が先か、卵が先か」わからない状況は、次回作以降で明らかになるのだろうか、このままだと、次回作は超能力バトルものになる気しかしないのだが。。。

ちなみに、Life is Strangeの超能力は発現は「強烈なストレス」に起因するものが多い。
マックス(LiS):クロエが撃たれたとき
ダニエル(LiS2):父親が警官に撃たれたとき
アレックス(TC):一家離散後に里親とうまくいかず転々としていた過程
トリスタン(コミックス):友人と共に殺されそうになったストレス
ピクシー(コミックス):不明(いつの間にか身についていた)
サフィ(DE):両親離婚後の母親からの強烈なプレッシャー


相変わらず品質は良く「は」ない

通常プレイで100%こうなる

今作はPS5を含むハイエンド機でのリリースとなったが、前作「True Colors」ほどひどいものではないものの、相変わらず「つくりが甘い」感が否めなかった。Deck Nine Games製だからだろうかと思うところはあるが、話の展開でアタッシュケースの鍵をくすねて開けようとするシーンですでにアタッシュケースがあきっぱのグラフィックが読み込まれてしまい、開いているのに「Unlock」が出ていたり、鍵が浮いた状態で読み込まれたままになっていたり、それらがほぼ100%通常プレイで発生するというのが、正直厳しい。前作でも思ったのだが、True ColorsはPS4とPS5という性能差が著しいマルチハード展開だから難しいところがあったとは理解するが、今回みたいにハイエンド機でのみリリースする作品で「シーンの切り替わりのテクスチャやポージングの読み込みが一瞬遅れる」のは正直どうかと思う。特にポージングの読み込みはちらつくこともあるので少々不快に感じた。

このページ開けるのに「毎回」十字キーを19回押す

地味に一番腹が立ったのは、過去作では当たり前にできていた「日誌(Journal)」が更新されたときに日誌を表示すると最新のページが開くようになっているのが、今作では日誌が更新されると1ページ目に強制的に戻るようになっていることだ。なんで日誌が更新されるたびにページをめくる作業を強いられなければならないのよ…20ページ以上あるのよ…

このゲームのQA部門は相変わらず何のQuolityをAssuranceしたのかスタッフロールを見て今作も疑問に感じてしまう結果となった。

2章に入る前にDLCの宣伝が入る(英語字幕の場合)

そんなクオリティでChapter2に入る前に「カレドンの迷い猫を買え!Chapter2から始まるよ!」って宣伝してくるな。腹が立つから。

苦痛のトロフィー

この選択をもってエンディングまで行く必要がある

今作におけるトロフィー「街か君か」の条件は、Chapter1の最初のmajor Choiceの選択肢を両方選んでゲームをクリアするというものになっている。第一章の最初のチョイスは過去作から続く「Sacrifice Arcadia Bay」と「Sacrifice Chloe」の究極の選択が後の作品でも反映されるものだが、過去作ではあくまでもサービス要素(LiS2における「アウェイ」のマドセンのRV、True Colorsにおけるステフのトラウマの元凶)程度であったのに対し、今作はストーリー的にはほぼほぼ影響がないのに、トロフィーを獲得するには新しいセーブデータを作ってイチからやり直さないといけない。これが何を意味するのかというと、ストーリーを一切スキップすることができない状態でもう一度通しでフルでゲームをやらなくてはならないということだ。最後の方の台詞やチョイスが少し変わるだけのために、98%は同じストーリーをもう一度じっくりやれは、あまりにもひどすぎると思う。「間」を楽しむのは初見プレイで十分です。

アリゾナ州セドナ。おそらくLiS2の時期

そして、この話を作る都合でやらざるを得なかったのだろうが、「Sacrifice Arcadia Bay」をした場合なぜマックスがクロエと一緒にいないのか。という説明が必要である。答えは大喧嘩したらクロエが出て行っちゃった。

…はあ?(Space Cat)

クロエ以外の全てを犠牲にしてしまった世界で、10年間の関係のご破算としてはあまりにもお粗末…でも、意外とそんなもんなのかもしれない。永遠に同じ関係でいられることはたとえその選択の代償がどれほどでかくてもありえない。ということを伝えたかったのかもと無理やり納得させておく。実際SNSのフォローや連絡先は消すことはなく(少なくともマックスはクロエのSNSについてはもっぱらROM専であり、クロエはSNSでは元ブラックウェル校の同級生ヴィクトリアと仲良くやっている)、嵐の夜のあとにはクロエから心配して久方ぶりの連絡がマックスに来ており、決して最悪の別れにはなっていなかったのだろう。その当時のマックスの日誌はとんでもなく病んでいたし、マックスはクロエに対するネットリとした未練が随所に出ていて後悔してそうな感じを受けた(ので、この周回では誰ともくっつかずに終わらせた)

LGBTのバーゲンセール

クールな「T」キャラ。グウェン

昨今のアメリカの多様性へのインクルージョンの流れがゲームにも反映されている。個人的には別にLGBTを腐したいという感情は一切ないが、「社会的弱者」や「被差別身分」のレッテルを貼りたいときにこのような属性をエンチャントすればいいという流れは、正直苦手である。
「そんな中でも自己実現のために、自身の権利のために尽力されているじゃないか」というご指摘は至極ごもっともであるとは思うのだが、この「Life is Strange Double Exposure」の中において、その要素がプラスに働くことがあったか???と言いたい。今作では「T」の登場人物としてグウェンが居るが、彼女は「かっこいいTの人」という属性しか持っておらず「Tだからどう」という意味付けがない。好意的に解釈するなら、そのような属性の人が当たり前のように自分らしく居られるというのが良い世界じゃないかということなのだろうが、これはゲームでありフィクションだ。意味もなく属性だけをエンチャントするのは、雑な個性付けに他ならないと、私は思う。

塩対応してたのにこれはねぇよ

マックスは割と昔から自分が気に入っていればあまり相手の属性が気にならないタイプ(だが趣向としてはL寄り)だと思っているのだが、それにしてもマックス、節操なさすぎるだろ…。いくらフリーだからって、違う世界線だからって別々の人間と同じタイミングでキスしてもいいだろって…ならんでしょ…。まあ、True Colorsとは違って「どっちかを選ばないといけない」みたいなことにはならないようにできていたのが、唯一の救いだと思う。

音楽は相変わらず良い

この作品に使われている楽曲のプレイリストがさっそくSpotifyにつくられているのでよければ聴いてくださいな。
個人的には"September"とメイン曲の"Someone Was Listening"、あとは”Everything I'm Not"あたりが好きです。

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