【詩】海岸の牛、漂流の子ら

母の大きな脚が子の背中を打ちつけた夜、
子等は子等の確固たる輪郭を手に入れました。
それは波打つ海岸に現れます。
海は確固たる輪郭を与え、
高熱に微睡む私のような火山島を、
時に削り取り島とするのです。
そこで生まれし私の子らが、
母よりミルクを摂るように、
脈々と続くこの無為の流れの、
果てであり目前で
茫漠とした朝の男たちは、
ワトリドリのゆく夜を探していたのです。

その海は果てであり、
男たちは戸惑いの中生きてきました。
いつからかのっていた流れに、
気づいたら取り残され、
雨となってはここへ、
北へ向かっては南へ、
いつでもここへ帰ってきたのです。

輪郭を奪い与える母になるという
逆らえぬ流れに男たちは恐れながらも、
この絶えない流れをどれほど安心していたことか。

打ち上げられたとき、
男たちは思い出すのです
いつかの流れを作るべく、
偉大なる母たちの乳をとるその姿に。
男たちは果ての目前で、首を垂れているのです。

川は流れ海へと注がれる。
海も流れているけれど、
川にとっての海ほど目的地があるわけでない。
海は雲となり、雨となって広範囲へ降る。
それはまた海でもあるのだ。
つまり、川こそ流れであり、私たちである。
海へと出てしまった私たちは、目指す場所なく、
目的のない縦横無尽に張り巡らされた予期せぬ流れに身を寄せることとなる。
川こそ我が人生であるような気がした。

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