世界が美しく見えた今日


朝の澄んだ空気、車窓ごしに流れてく街を見る。
すこし黄色を含んだ日光が夕方を気取るが、私たちを乗せたバスは学校の方向へ向かっているから、勘違いなんかできない。
私の斜め後ろに立ったクラスメイト。
続く青。薄い雲は灰色。雪雲だろう。
なんだかこんな表現、どこかで見た。おそらく、誰かの表現の焼き直し、あるいはコラージュ。
私がこう考えるのも誰かの真似事である気がする。

ゆるくほどけた頬。どうだろう、綻び損ないかも。
常に微笑をたたえている。張り付いたような笑顔(これは私の感覚として正しく表現している。)のやめ方が分からない。おばけになったような感覚、爪先が行き先を求めている感触が嫌でぎゅっと目を瞑ると、前頭葉のあたり、額と頭蓋骨のスキマが、痺れた。

やわらかい快楽は心を洗って、漂白していく。そうして、余分な好奇心や悪意をゆっくり、ゆっくり押しのけて、ぽっかりと空いた余白が、手のひらのようなあたたかい快楽と善性の心で満たされてゆく。のだろう。aaa透明だ。快楽とは透明だ。限りなく透明なプラスチックのまがいものだ。心の中は澄んでいる。あっという間に砕けてしまいそうだけど、いや、だからこそ、軽く触れると美しい音が鳴る。奏でる。天使のラッパのような、凛とした美しい音が鳴る。誰も聞いたことがない音が、響いている。

私は胎児か?

分厚い殻の内側から、じんわりと溢れ出す絶望と微熱が行き場をなくして漂う。破裂しそうなくらい熟れた心臓が終わりたい、終わりたいと切に訴え、生命のかたちをありありと感じさせる。希死念慮の全ては僅かに燻って、赤に帰る。

晴れ。雪解け。
顔を出したコンクリートの上を歩いて帰る。いつもよりもっと早足に、すこし縺れそうなくらい。この心を持って帰りたくなった。私の心、誰も見られないし、触らないの知ってるけど、このままあの子に会いに行きたくなった。言葉で心の形を、輪郭を、丁寧になぞれば分かってもらえるはずだって、ずっと願っている。今日はあたたかい日だった。

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