【1章3話】小説『葬送のレクイエム──亡霊剣士と魂送りの少女』
第1章3話 亡者よりも……
台所の柱にメルの足枷の鎖をつないで、院長は鼻歌交じりに立ち去った。
動けるのはせまい台所の中だけ。用を足すための瓶だけ、渡されて。
「……っ。……泣くな。泣くな、メル。…………泣くな」
泣いたって何も変わらない。
……そうだ、亡者に食われるよりマシじゃないか。
生きてるだけマシだ。死んだ仲間は戻らない。
亡者どもを魂送りしようとして、逆に引きずり込まれて。
脳みそが撹拌されて、ドロドロに溶けていく。このままメル自身も溶け出してしまえばいい。
泣いて。泣いて。泣き疲れて。
メルはいつしか、膝を抱えたまま眠りに落ちていった。
☆☆
誰かがひそひそと話す声で、目を覚ました。
見知らぬ少年たちに囲まれている──三人。
「あ、あの……? えっと……食事の用意、まだ……」
「しっ……! 静かに。今、鍵外してやっから」
「……え……」
見ると、柱にくくりつけられた足枷の鎖──そこにつけられた南京錠を、そばかす顔の少年が外そうとしているところだった。
カチン、と小気味よい音がして、メルは台所の柱から解き放たれた。
「こっちだ、こっち。見つからないうちに早く」
「は、はい……っ」
少年たちに手を引かれて、メルは何が何だかわからないまま孤児院の敷地を転がり出た。
「バレてないか?」
「——完璧。クソ院長、ざまーみろ」
「あ、あの。助けてくれてありがとう」
「女の子をあんなとこに放っとけないもんな。それに、前にも……」
「あっ、バカ。言うなって」
「……? もしかして、私の前にいた子も、あなたたちが逃がしてくれたんですか?」
「あ? あぁ、まぁな……」
目頭が熱くなった。
助けてもらってばかりだ。この子たちにも、……アスターにも。
ズキリ、と胸が痛んだ。
謡い手はいらない、と言ったアスター。
……彼のところには、戻れない。
「私の前にいた子は、今どうしてるんですか? どこにいるの?」
メルの手を引いて走っていた三人の少年たちは顔を見合わせた。
「さぁ……あれから見てないもんな。でも、今頃、もう──」
「だから、バカ。やめろって」
「?」
ひとけのない方に行くのが気になった。確かに、逃げ出すのなら、孤児院の者から見つからない方がいいけれど……。
「……あの、どこまで行くんですか? さっきからけっこう走ってるけど……」
「……そうだな。もうそろそろいいだろ」
どこかにたどり着いたというわけでもない、ただ家と家の壁があるばかりの、暗がり。保護してくれる場所もなければ、逃げ出すための馬車があるわけでもない──そんな場所で。
「!? ……な、何を……」
強引に、地面に押し倒された。
めちゃくちゃにもがくメルを、少年たちが押さえ込んだ。
「おい、おまえ。そっち押さえろよ」
「口ふさげ。騒がれると面倒だ」
「ナイフ当てとけ、ナイフ」
「痛てっ。こいつ、蹴ってきた」
亡者どもの手が伸びてくる。違う。人間の手。生きてる、ひとの。──あぁ、でも。
「へへっ、先生にナイショで売り飛ばしてやろうぜ」
「バーカ、そういうのはじっくり愉しんだ後にすんだよ。見ろよ、けっこうかわいい顔してんじゃん? 奴隷にしとくのがもったいねー」
「でもさー、そんなことやってるから、こいつの前の女逃がしちゃったんじゃん」
「あれはあいつが悪りーよ。せっかく鎖を解いてやったのに逃げ出すんだもん」
……腐臭が、した。
心の根っこが腐った臭い。ドロドロに撹拌されて。
亡者どもの動きは機械的だった。怖かったけど、そこに欲望とかは感じなかった。
このひとたちは、亡者たちより弱い。数も少ない。……でも。
「でも、荒野は亡者どもの巣窟だぜ? 死体もあがらないんじゃ今頃──……」
──……忘れてた。人間は、亡者よりも恐ろしい。
「──亡者どもの腹の中だろうけどな」
そばかす顔の少年の手が伸びて、ブラウスのボタンを引きちぎろうとしたそのとき──
光の差さない路地裏に、声が届いた。
「──…………残光蒼月斬」
少年たちの背後から放たれた剣撃が空気を切り裂いて、彼らの真横を走り抜けた。
☆☆
──時は、少しさかのぼる。
「いやぁ、悪いね。てっきりあんたはお嬢ちゃんといるもんだとばかり思ってたよ」
旅の青年と通りを歩く道すがら、ギグはそう言って細面の頬を掻いた。
「……俺は旅暮らしだから。それに、俺と一緒に来れば、亡者と戦うのは避けられない」
「でも、お嬢ちゃんは魂送りができるんだろ? あんたも一緒にいてもらえばラクなんじゃないか?」
「……別に。魂送りなんか、しないに越したことはない。せっかく自由になったんだ。できるんだったら、あいつも普通の生活を──」
「…………『普通の生活』ね」
そううまくいってるといいが……と、内心でギグはぼやく。
「俺は、あんたがお嬢ちゃんを連れていってやるのが一番だと思うけどね」
「あんたまで、そんなこと言う……」
「何もモノみたいに扱えってわけじゃない。けど、あんたがお嬢ちゃんの保護者になって……──って、なんだ。あのガキども? あんなに慌てて走って……」
隣にいる青年が立ち止まった。
少年たちが去っていった路地裏を見つめる。その蒼氷の瞳がいぶかしげに光った。
「………………メル?」
☆☆
「おまえら、女の子ひとりに寄ってたかって……覚悟はできてるんだろうな?」
かたわらを走り抜けていった剣の衝撃波に、少年たちはメルを押さえ込むのも忘れてみっともなく震えている。
メルは夢でも見ているのかと思った。こんなところにアスターがいるわけがない。助けてくれる……理由がない。
目頭が熱くなった。
噴きこぼれるものが、止まらない。
「剣のサビになりたいヤツは来い。相手してやる。そうでないなら、今すぐここから……」
「ごごご、ごめんなさい! もうしないからゆるして!」
「逃げろ! 殺される!」
少年たちが泥水を蹴立てて散り散りに逃げていく。
その後ろ姿をぼんやり眺めていると、アスターが立ち上がるのに手を貸してくれた。
「……大丈夫か」
「怖かった……怖かった……!」
「……悪い。出ていくのが遅れた」
震えながらすがりついたメルの頭に、アスターが手をのせた。ぎこちなく。
「あり、がとう……」
メルの震えが止まるまで、アスターはずっと一緒にいてくれた。
☆☆
「あれからどうも気になってな。ずっとお嬢ちゃんのこと、探してたんだ」
そう言った職人ギグに連れられて向かった夜の武器工房は、昼間と打って変わって静寂に包まれていた。
「お嬢ちゃんはそこに座ってな。暑くて悪いけど、すぐ済むから」
メルは窯の前におずおずと座った。
「……じゃあ、始めるぞ」
ギグは、メルの足枷についている鎖を炎の中に差し入れ、窯から取り出してハンマーで勢いよく打ち始めた。
ひとつ、ふたつと打つたびに、頑丈なはずの鎖が刃こぼれするように砕けていく。
パキン! と最後の欠片が散って、鎖は真っ二つに断ち切られた。
「うわぁ……!」
「こんなもんだろ。余った鎖を脚に巻き付けときゃ、少しは動きやすくなるはずだ」
「ありがとうございます……!」
「……いいのか?」
「さすがに足枷を取るのはまずくても、鎖ならと思ってな。何か言われても、兄ちゃんが『動きにくくて使いづらかったから』って言えば済む」
言外に、アスターがメルを連れていくのを前提とした物言いだった。
だが、アスターはごまかされなかった。
「……そうじゃなくて。親方にバレらまずいんだろ」
「俺は自分が正しいと思ったことをやるまでだ。待ってろ。もうひとつ、渡すものがあるんだ」
一度、工房の奥に引っ込んで、ギグがもってきたのは──木彫りの杖だった。
「本当は短杖じゃなくて宝杖を用意したかったんだけどな。これでも随分、亡者どもをなだめる助けにはなるはずだ」
「……魂送りの杖? こんなこと、してもらう理由が……」
「なに、これは俺のワガママなんだ。……俺の故郷も亡者で滅んでな。娘が生きてたら、ちょうどお嬢ちゃんぐらいの年だった。娘の魂はちゃんと、どっかきれいな場所に逝ったんだって信じたい。でも、俺じゃそこまではわかんねぇから──」
窯の炎に照らされて、玉の汗が浮いた横顔に沈痛な影が落ちた……気がした。
それでも、切とした願いをこめた眼差しは、確かな熱を帯びて。
「約束してくれ。もしどこかで俺の娘が亡者になってたら、魂送りしてやってくれな。きれいなところに葬送ってやってくれよな」
手の中にある杖の、重み。
ぐらついていた心の天秤が、メルの中で、確かに釣り合った。
「……うん!」
想いをたくし、たくされて。
まっすぐに見上げた男は、目尻にしわを寄せながら、照れ隠しにやわらかく笑んだ。
☆☆
火の後始末をするというギグを工房に残して、メルとアスターは外に出た。
長かった一日が終わろうとしている。
けれど、まだ一番肝心なことが残っていた。
これから、どうしよう。
こればっかりは、もう後回しにできない。
でも、帰る場所、なんて……。
「——メル」
「は、はいっ」
思わず背筋を伸ばして、気が付いた。
(な、名前。初めて呼ばれた……!)
あたふたしているメルに、アスターがけげんそうな顔をした。
でも、生まれて初めて名前を呼ばれた……!
アスターがつけてくれた、女神様の名前。
自分だけの名前。
たったひとつの……。
「もう一回、宿探すか」
メルは、ぱちりと目をしばたたかせた。
それって、つまり……──
「……うん!」
アスターのどこか憮然とした顔に、あるかなきかの笑みが浮かんだのは気のせいだろうか。
明日のことはわからない。
でも、今はこうして一緒にいられる。
ふたりで仰いだ夜空には、降り注ぐような満天の星が浮かんでいた。
(1章・了)
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