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【1章2話】小説『葬送のレクイエム──亡霊剣士と魂送りの少女』

第1章2話 希望の果てに


 宿の清算を済ませると、アスターはメルを連れて表通りに出た。

 どこに行くのかと思ったら、煙突からもくもくと煙が出ている一軒にたどり着いた。看板に揺れる文字は「武器屋」。

「適当に見てていいぞ。俺は奥にいる」

 そう言ったアスターは、店の者と二言三言交わすと行ってしまった。
 一通り、商品を眺めても、まだ戻ってこない。

(遅いな……)

 店の奥からは、金属を打ち付ける音が途切れ途切れに響いている。
 メルはそろりと中に入った。

 かまの前に、数人の職人たちがいた。若い職人たちに混じって、ひとりだけ四十がらみの職人がいる。その職人が鍛えているものを見て、メルはつい、声をかけた。

「これ、もしかして……魂送りの杖ですか?」

「えっ? あぁ、そうだけど……」

「すごーいっ。こうやって作ってるんだ。初めて見た!」

「お嬢ちゃん、魂送りを知ってるのか?」

「うん、小さい頃からずっと習ってたもん」

 若い職人たちに交じって作業していた壮齢の男が、面食らったようになった。

「え? まさかお嬢ちゃんが謡い手? 亡者を葬送おくるっていう? なんだって、そんなご大層なのがこんなとこに……」

「おい、ギグ。その子……」

「…………あ」

 メルの足枷に気付いた職人仲間がこっそり耳打ちした。
 きちんと聖堂に所属している謡い手に、そんなものがついているわけがない。

「……かわいそうに」

 ぽつりと漏れたつぶやきは、窯の炎の音に掻き消された。──ついでに、当の本人にも。

「こんなに細かい模様どうやって入れるの?」

「え? あぁ。ここは彫り入れてるんだよ。ほら、こうやって見本を見ながら……」

「えーっ。手作業なんだ? これ全部⁉」

「あったりめぇよ! こんなの朝飯前だって」

「こっちの金色になってるヤツは?」

「金属の粉を練り入れてるんだ。こう見えて匠の技なんだぜ」

「うわぁ、きれーい!」

 滅多にない若い女の子の歓声に気をよくして、職人たちが盛り上がる。メルの境遇に同情していた年かさの職人はあっけにとられ──……苦笑した。そのとき──

 工房の奥で、怒鳴り声がした。

「できねーもんはできねぇって言ってんだろぉ‼」

 工房の奥でアスターが工房の親方と話していた。
 怒鳴られた当の本人は平然としている。

「……なぜだ。剣を鍛えるより簡単だろ?」

「奴隷の足枷を壊すなんて頭沸いてんのか? そりゃ、逃亡幇助とうぼうほうじょだろうがよ! そんなのに力貸す工房があるわけねーだろ」

「逃げたんじゃないって、何度説明したらわかるんだ。前の主人が手放したんだから、あいつはもう自由なはずだ」

「だから、そういう問題じゃねーよ。第一、奴隷本人が言ったことなんか信用できるかっ」

 親方はふと、目の前の青年をしげしげと眺めた。使い慣れた旅装束。剣に使われた見慣れない意匠……。

「……あんた、グリモアの人間じゃねーだろ。今時、亡者どもに国を追われたヤツなんざめずらしくもない、が」

 ──親方のその言葉で。アスターがさっと青ざめた。

 メルも弾かれたように顔を上げた。

 ……亡者どもに国を追われた……?

 親方はイライラと葉巻を吹かしてふぅっと吐き出した。アスターに向かって。目の前の相手がゲホゲホむせるのもかまわずに。

「──いいか、兄ちゃん。土地には土地のルールってもんがあるんだよ。あんたがどこの人間かは知らねーが手前勝手な正義を押し付けんじゃねぇ……青くせぇクソガキのすることだ」

 ──うつむいたアスターの表情は、逆光でよく見えない。


  ☆☆


 かしゃん……かしゃん。
 赤土だらけのさびれた通りに、鎖の音が響く。

 武器屋のあった目抜き通りを抜けて郊外に出ると、小さな町の人通りがめっきり減って、今、通りにいるのは旅の青年と足枷付きの少女だけ。

 ひとしきり鎖の音を響かせて、通りに座り込んだアスターが悪態をついた。

「……っ。くっそ……!」

「ねぇ、アスター。もうあきらめよう? 剣なんかじゃムリだよー」

 足枷を壊すのはムリでも、せめて鎖だけでも……そう思ったアスターがメルの足の鎖に剣を当てるのだが、ビクともしない。

「……こうなったら奥の手を使う」

「奥の手?」

「そこに立ってろ。……動くなよ」

 言われたとおりに立ち上がって通りに出たメルは、次の瞬間、凍り付いた。

 アスターの詠唱とともに、剣が刀身におぼろな光をまとっていく。
 構えの形に残像が三日月形の弧をゆっくりと描いて──

「残光……蒼月斬!」

「きゃーっ!?」

 全力で逃げたメルの真横を、すさまじい剣風が吹き抜けていった。

「おい、逃げるな」

「だってこれ亡者たちを蹴散らしたときの技でしょ!?」

「安心しろ。……外しはしない」

「外れたら死ぬから! ちょっ……目がマジになってるのやめて!?」

──アスターとメルの不毛な鬼ごっこは、しばらく続いた。

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 全力疾走してへたりこんだメルの横に、アスターが座った。剣は鞘に収めている。……助かった。

 あんなに走ったのに、アスターは少し頬が上気しているぐらいだ。やっぱり体力が違うなぁ。ちょっとうらやましくなった。

 昨日から思っていたことが、ぽつりと、口に出た。

「……ねぇ、私のご主人様になってよ」

 蒼氷の瞳が、意外そうに、ひとつまたたく。

 けれど、メルはずっと思っていたのだった。──アスターが主人になってくれればいい。そう思うぐらいには、この無愛想な青年のことが好きになっていた。

「アスターは旅してるんでしょ。亡者たちをいっぱい斬るんでしょ。そしたら私、魂送りするよ。今はまだあんまりうまくないけど……でも、きっとできるようになるから。アスターの足を引っ張らないように、私……!」

「──断る」

 アスターが言った。
 剣で斬り付けるような、冷たい声音で。

「謡い手は、いらない。俺ひとりで十分だ」

 メルは──
 知らず知らずのうちに、期待していた自分自身に打ちのめされた。

(私、バカだ……)

 足手まといでしかないのに。
 昨日も今も、迷惑しかかけていない。

 泣くかと思った。自分が。でも、涙は一滴も流れない。

 知ってたじゃないか。涙なんか枯れ果てたんだって。
 自分は、この程度じゃ傷付いたりしない。
 期待して裏切られるのなんか、なんてことない。
 大丈夫、慣れてる。……大丈夫。

「……。そう、だよね……。ごめんなさい。ワガママ言って……」

 アスターの前で、うまく笑えていればいい。
 気の遠くなるような沈黙の果てに、ふいと目を逸らしたのは青年の方だった。

「行こう。ぐずぐずしてたら日が暮れる」

「……うん」

 煉瓦造りの古ぼけた建物の前にたどり着いた頃には、影法師が大分長くなっていた。ふたり分。建物から女のひとが出てきて、三人になる。

 二段ベッドが所せましと並ぶ大部屋から好奇心旺盛な子どもたちがちらちらと視線を寄越す廊下を通って、メルとアスターはこぢんまりとした応接室に通された。

 院長だと名乗った女のひとは、メルの足にくっついた足枷について何も言わなかった。ちょっと視線をやったぐらいで、また笑顔になった。

「亡者に殺されかけたんですって? でも、助かってよかった。うちの孤児院に来たからにはもう安心ですよ。うちはね、亡者どもに親を殺された子も多いの。いろんな子たちがいるけど、すぐになじむと思うわ……さぁ、いらっしゃい」

「……え……」

 メルは、ちらりとアスターを見た。

 温厚そうな院長はにこにこしている。
 まるでアスターなどいないかのような振る舞いに、うなじの辺りでチリチリとした違和感を覚えた。何だろう……。

 アスターが、メルの背中をぽんと押した。

「じゃあ、俺はこれで」

 落っこちてきた言葉に、メルは差し出しかけた弱気な手を引っ込めた。

 ──他人なんだ。そう思った。

 全然関係ないのに助けてくれた。危険をかえりみずに。
 優しいひとだ。
 差し出された手を、つい取ってしまうひと。
 だから、これ以上、甘えちゃいけない。

「……ありがとうございます。亡者たちから助けてくれたのも」

「元気でな」

「うん。アスターも元気で。……さよなら」

 金髪の青年が去って、応接室の扉がぱたりと閉まった。拍子抜けするほどあっけなく。……振り返りもしない。

 ほんの少し、胸が痛んだ。
 この町に来てから別れてばかりだ。そう思った。
 元のご主人様ともアスターとも……。

 うなだれたメルの肩に院長が手をのせた。にっこりと。

「さぁさぁ、あなたの持ち場に案内するわ」

「……持ち場……?」

「ええ。こっちよ」

 心臓がドクドクと脈を打った。
 どうしてこんな不吉な予感がするのかも、わからずに。

 院長の後をついていったメルは、汚れた食器がシンクに山と積まれた台所に通された。

 いつから放ってあるのか、小バエが飛んでいる。油汚れにまみれた床の隅に、犬の寝床のようにみすぼらしい毛布のかたまりがあった──人間大の。

「あの、これ……?」

「もちろん、あなたの新しい寝床よ。本当に助かったわ。前の子が逃げちゃって、子どもたちの世話をする子がいなくなって困ってたの」

 メルは目をみはってたちすくんだ。

 アスターは何て言っていた?
 何も…………──何も。
 放り出すのは後味が悪い?
 拾った自分の責任?
 でも、これじゃ……──

 絞り出した声は、ひどくかすれていて、自分のものじゃないみたい。

「アスターが、私のことを売ったの……?」

「いいえ? お金のやりとりなんかしてないわよ。でも、奴隷なんて、どこもこんなものでしょ。それともなぁに? まさかあなた──」

 院長が信じられないというふうに、口に手を当てた。
 メルのことを。ウジ虫でも見るように。
 汚らわしいものを見る目で。

「──奴隷の分際で、人間ヒトみたいに暮らせるとでも思ったの?」

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