優しさとは
人間にはあまりに制約が多い。
遠くで起きている爆撃の被害を、痛ましいと思ってもどうしようも出来ない。
近くに居る人間でさえ"心が読めない"ため、それを「お節介」だと思われる可能性もある。
しかし、悲しみを抱える人に対して自分が出来ることを考えるのは、人間として持っている性質と言えるのではないかと思います。
災害、病気、飢饉、侵略、隷属・・・、人間を苦しめてきた「災厄」を乗り越え、「人権」という"人が人として生きることが当然"と思う世の中の入り口(敢えてそう言います。LGBT等まだまだ抱える問題は多いので)まで、人類は来ました。
受けた「災厄」を、"我が事のように"感じる人間の「精神」が、この進歩を後押ししたことに間違いはないのではないかと思います。
では、自分が持っている「この心」はどうするのか?
その結論は、
「自分で『救えるべき人を救う』」
「自分が"救えない人"は、他の人に救ってもらえるように『祈る』」
今の自分に出来る最善の考え方だと"自負"しています。
僕もまだ知らない事、わからない事が多くて「なんで上手くいかないんだ」と、自分の不出来さに心が沈むこともあります。
けれども、人類が曲がりなりもここまで進歩したのは、歴史上に上がる人物が有無を言わさずそうさせたわけでない、名もない人々が少しでも今の状況を良くしたいと思った、"その積み重ね"であると思えば、その"名もない一人になるであろう僕"も、少し前を向いて行こうかと思うのです。
少しでも自分が救える人が多くなるように。