「トロイヤ戦争」へ至る道(3)
トロイヤ戦争は、ギリシャ軍がトロイの岸辺に上陸してから10年間続きます。
ホメロスの書いた「イーリアス」は、その10年のうちの最後の10日間の話しで、岩波文庫版だと上・中・下巻の3冊に分かれていて、それぞれの1冊の厚さが結構あります。
その10年間の間の話しもあるのですが、ホメロスが描いた物として"残っているのが"この「イーリアス」ということです。
ギリシャ神話は、もともと吟遊詩人が街々を訪れた際に語られる「口述詩」で、その物語は「詩人たちの頭の中」に納められていました。
それをホメロスが書き起こし、残った物がこの「イーリアス」です。
ホメロスは「イーリアス」の他に「トロイの木馬」作戦の立案者「オデュセウス」の「トロイヤ戦争」後の帰国譚「オデュセイアー」も書き残したと言われています。
因みに、オデュセウスは故国の帰還にも10年掛かっています。
それは、トロイを攻め滅ぼした原因を作ったとして、トロイ側を応援していた海の神「ポセイドン」に疎まれて、帰国の途の妨害をされてしまうからです。
そうなんです。実は勝った「ギリシャ側」も結局「神々の怒り」に触れて、ロクでもないことになります。
また、トロイを逃れたトロイの王子である「アイネイアス」は、亡国の民を率いてイタリア半島にたどり着き、「ローマ」の礎を作り、その子孫がギリシャを「征服」するのです。
「神話」から「歴史」へ繋がる壮大な「物語」の中のほんの一部、「パリスの審判」について、"少し"述べていきたいと思います。
※すいません💦この「イーリアス」10年続いた「最後の10日間」と書きましたが、僕の思い違いでした💦💦
トロイのプリアモス王が皇太子のヘクトルの遺体の返還を求めて、遺体と共にトロイへ戻るまでです。
謹んでお詫び申し上げます。🙇♂️
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