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『葵 ひなた』は『良い子』

『葵ひなた』くんは疑いようもなく、間違いなく『良い』子である。
徹底して、完璧に、良い子。
というのが、ひなたくん、ゆうたくんが今世界に対して刷り込みをしている事実。
『葵ひなた』が良い子であるという事実と、その中身が(ひなたをその時やっているのが)ひなた/ゆうたのどちらであるかは、二人にとって別の話というか、良い子の兄のひなたという存在に対しして、その比重は大きくないのかな、と思う。

ひなたは善くありたいと望む子だ。最初からずっとそう言っていて、そして自分の中の人間を好きになれない部分や、愛や絆を信じきれない部分に苦しんで来た子だ。生きるために身に着けてきた知識も経験も技術も、どれも完璧と自負して、できることが増えるのは楽しいと笑って、でも弟が幸せになってくれるなら(幸せな葵ひなたくんの理想になってくれるなら)その全部を使い潰されてもよかった、俺に何も残らないでもよかった、そんな自己犠牲的な、そして逆らいようのない愛を捧げ続けてきた子だ。
ゆうたはひなたの自己犠牲的な面を嫌がっていても、ひなたがそうやってゆうたを生かしてくれたことをずっと恩として抱えていて、そしてひなたが受け取れるはずだった幸せを自分が使い潰したと負い目を感じていた。返しようのない愛は熱はゆうたの魂にしみ込んでいて、それを宝物みたいに教えてくれたゆうたの笑顔はすごく美しかった。
ちょっと歪だよね、と思うけれど、それは私がどうやっても彼らの外野だから。だからこそゆうたは『こっち』に愛の話をしてくれたのだと思う。自分を切り刻んでまで与えた愛を受け取れないひとっているかよ、そんなのひなたの自己満足の押し付けで、ゆうたくんにはいくらでも他のやり方が選べたんじゃないのって、そんな話はきっと二人の間で通り過ぎていて、意味がないことなんだろうな、と。
二人がかりで幸せになれないのなら、幸せに意味がないから。
ささやかな幸せで満足して立ち止まれないくらい、二人は世界から奪われ続けていて、それを取り返さないと、前も向けない。
2winkがアイドルになったのだって、幸せになりたかった、愛されたかったから。普通に幸せに暮らしていたら家族から与えられていたはずの愛を、世界中のひとからの祝福で埋め合わせをしようとしている、そんな二人の傲慢が、私は好きだ。

閑話休題。

『葵ひなた』は『良い子』である。
学院に入学したばかりのころ、もっと前の路上で暮らしてたころ、ひなたくんは『悪い子』だった。そんな悪い子のお兄ちゃんを、癇癪を起したゆうたくんが殴る、それは当時の二人にとって正しいコミュニケーションで、ゆうたはその方法でしか感情の出し方を知らないまま、兄を殴ってわからせをするという方法だけを与えられて、殴ってしまった罪悪感を抱きながら、それでも正義を執行していた。だって、ひなたくんはそれを正しいと言ったから。
冗談でも言うべきではないのだが、ひなたは弟に、俺のことサンドバッグにして~みたいなことを言ったことがある。弟の怒りをなだめるみたいに、茶化して。そうやってゆうたの怒りをなんでもないみたいに流して、善良なひなたの意見を通すこと、その正しさは暴力的で、それでもそれはひなたが最後にたどり着きたい、優しさと愛が循環する世界のためには必要なのだろう。

ひなたの正しさにはひなたの主観しかない。
それは、世界に刷り込んでいる『良い子』という客観とはズレている部分もある。
例えば路上で暮らしている不良たち。ひなたが個人的に身銭を切って雇っている、かつてひなたが路上暮らしをする時に生き方を教えてくれた恩人たち。ひなたにとって間違いなく恩人で、友人。中華料理屋の師父を恩人と呼ぶのと並列で、ひなたは彼らを切り捨てることは選ばない。
ゆうたはひなたに比べたら若干冷めた態度だった。おそらく、ゆうたの口ぶりから、ひなたの方が関わることが多かったのだろうと思う。路上で暮らす子供がなんとか生き延びた方法として、ゆうたが具体的にあげたのは食べられるゴミを漁ったことと大道芸。それで稼いだほんのちょっとの糧すら大人に奪われるような経験をして絶望して憤った、その怒りをゆうたはずっと抱えている。はてはそんな目に俺たちを追い込んだ、俺たちを拒絶した父親への怒りを。
対して、ひなたは俺と弟が生き延びるために「なんでも」やった、と言った。なんでも、子供ができることを、必死に。そして二人は師父に保護され芸を覚え、アイドルになることを選んで、二人でアイドルになった。野良猫たちはそんなひなたを逆恨みして、『プロデューサー』ごとひなたを攫って、彼を傷つけて。
そしてひなたは、それを許したのだ。
許せなければひなたの中の正しさの筋が通らないから。あれは俺たちだよ、俺たちも怖くて悔しくて親切にしようとした手に嚙みついちゃうこともあるかもしれない、でも俺はそれを優しく抱きしめられるひとでいたいよ、そしてその優しさが循環する世界になれば、愛で満たされれば、ゆうたくん「も」誰も怨まないって。
「も」だ。
ひなたにもあるその感情を、ひなたはゆうたに与えるのだ。
ひなたは理由をゆうたにする話し方を時折する。俺はお父さんを死んでも許さない、だったら俺は許して愛すよ。ゆうたくんが幸せになるための犠牲になるよ。
良い子ぶるよねに対して君が悪い子ぶるからだよ、ゆうたくん。そう言うのだ。
それが今の『葵ひなた』は『良い子』に繋がっているのかな、と思う。

ひなたくんが良い子、良い子の仕事はひなたくんがやる、悪い子の仕事はゆうたくんがやる。入れ替わってでも、ひなたが良い子を吸い上げて、ゆうたが悪い子をため込む。
良い子のひなたくんが、路地裏で暮らす不良とつるんでいるのは、ひなたの中で筋が通った正しさであって、『良い子』の側面から生まれるものではないのではないか、と思う。ひなたがそこに気づいていないわけはきっとなくて、だからこそ、ひなたは彼らに傷つけられたことを許し、温かい飯を食わせるために、愛して、囲っているのだろうと思う、ひなたが贔屓にしているスタッフさんだ。それは『悪く』ない。ゆうたくんだって、懐いている『プロデューサー』はいるのだから。

ひなたはそうやって、ひなたの欲しいものをひなたの土台に上げて、ひなたくんの正しさの中にひなたくんが良いと思うものを引き込んで行きたいのかな、と思った。身近なもの、恩人、お父さん、ファン、世界。
そしてきっと、それなら最後はゆうたくん。

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