2.好きをシゴトにできなかった君は、シゴトを好きにしよう。
こんにちは、ボクです。
開始そうそうすっかりご無沙汰になってしまったけれど、
すっかりご無沙汰になってしまったのは、
もちろんそれなりの理由がある。
そう、仕事始めってやつだ。
日本で働く多くの人がそうだったと思うのだけど
ボクの仕事は1月4日からしっかりと始まった。
休暇というには少し短すぎるように感じるけれど
ボクの頭をぼんやりとさせるには十分な期間だったようで
始業から何日かはいいパフォーマンスができたとも言えず、
慌ただしく時間がすぎていって、気が付いたらもう今日だったんだ。
言い訳はさておき、本題にうつろう。
近年よく耳にするようになった言葉がある。
「スキを仕事にしよう」。
スキ、は好きにとってかわるけれど意味は同じだ。
「好きなことで生きて行く」なんて言い回しも
youtubeの名キャッチコピーとして広く伝わっているね。
ボクはこのコピーが好きだ。
とても前向きだし、夢がある。
夢は希望だ、気持ち良く生きるのに役に立つ。
好きなことで生きていけたら最高だ。
一方で最近こんな記述も見つけた。
『「好き」をシゴトにしたい病』というなんとも今っぽい一節だ。
なんでも、「好き」を仕事にしていない自分を惨めに感じたり
「好き」な仕事じゃないことに大きな不満や
劣等感を感じる人が増えている、とのことだった。
ボクは驚いた。なんたることだと思ったよ。
とても前向きなメッセージの裏で、
そうでない自分を恥じてしまう人がいるだなんて。
ボクはまったくそんな必要はないと断言できるのに。
では好きなことをして生きていない人は
どうしたらいいのだろう?
ボクには好きなことがいっぱいある。
後々ひとつずつ紹介していきたいけれど
マンガや小説なんかの紙の本が好きだし、
音楽も好きだ。ギターを嗜んだこともあるし
恥ずかしながら作曲に挑戦したことだってある。
(多くの人が思春期に通る道だとボクは確信している)
それに料理も好きだし、
コーヒーをいれるのだってこだわりがある。
どれもこれも甲乙つけがたいほどに好きだ。
でもどれもボクの仕事じゃない。
けれどボクはいつもハッピーだ。
なぜなら、ボクの好きな物リストの中には
けっこう上位の方に「仕事」もランクインしているからだ。
そりゃけっこうなことだ、と思わず聞いてほしい。
ボクは仕事が好きだ。
だけど、好きを仕事にしたわけじゃない。
ボクのシゴトはモノづくりだ。
(と、少なくとも自分ではそう思っている)
(またいつかゆっくり話そうとおもう)
モノづくりをしている、というと
たいてい「それがお好きなんですね」
と声をかけられるのだけど
ボクはけっして今ボクが作っているモノを
作りたくて作り始めたワケじゃないんだ。
最初のきっかけは「なんとなく」、
そしてシゴトにするに至った過程は「生きるため」だった。
ボクは生きていくのにお金が必要で、
生きていくために「なんとなく」始めたことを
シゴトにしたに過ぎず、それで今日まで生きている。
『「好き」をシゴトにしたい病』の方から見れば
なんと惨めで滑稽にうつることだろう。
でも、ボクはこう考えている。
「好き」をシゴトにするよりも、
シゴトを「好き」になったほうが早いんだ。
これらふたつは似ているようで、ぜんぜんちがう。
ボクは好きじゃなかったコトを
シゴトとして好きになった。
なんとなく始めたソレは、
なんとなく続けていくうちに手になじんで
ボクの生活を支える立派な相棒になった。
毎日を支えてくれる相棒を
嫌いになる理由がどこにあるだろう?
ちょっといけすかないやつだとしたって、
ちょっと相容れないやつだとしたって、
ボクの生活がこいつに支えられている。
だから、なるべくいいところを探そうとして
なんやかんやとやってるうちに、
じつはわりといい奴なんじゃないだろうかと思い始めて
思えば思うほど深まって、しまいには好きになっていた。
人間関係と同じだ、愛は愛をもってしか生まれないんだ。
好きなことをシゴトにできなかった君へ。
悲観することはない。
世の中には意外なイイモノがけっこう転がっている。
なんでもいいから手当たり次第に拾ってみるのはどうだろう。
それをひっくり返したり、ななめにしたり、
転がしてみたり、時には揉んだり叩いたり。
とにかく捨てずにアレコレしてみたら
意外と手に馴染んで、愛着がでてくるもんだ。
もし、そうでなかったら申し訳ない。
それはキミには合わなかったのかもしれない。
ああだこうだやってみて、
どうしても君をハッピーにしないのならば
そんなものは捨ててしまって
また新しいなにかを探しに行こう。
その時はボクに声をかけてくれたら
一緒に探してみるよ、たぶん楽しいだろう。
それでは、またね。