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責任感の権化、母。

わたしの母は昔気質な責任感から解放されないまま、その生涯を送ってきた。

正直、娘から見ても母は見えないものにがんじがらめだ。
そしてその自覚がない。

今回は母の責任感がどのくらい強いのか書いていく。



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まず特筆すべきことがある。

母は書道の準師範だ。
その流派では上から二番目の位を持っている。

我が母ながらとてつもない達筆で、署名などを求められ応じると、その跡を見て二度見する人がいるほどだ。

そこまでの技量を身に付けるには途方もない年月がかかる。
実際、小学校入学と同時に始め、結局二十歳過ぎまで続けたという。


母が書を長年続けられたのは、もちろん書が好きだったから、というのもあるが、単純に母の「生真面目さ」からきているのではないかと推測している。


しかし、考えていただきたい。
そこまでの母が所詮は「準」師範なのだ。
あと5年もあれば手が届いたものを、母は手にしていない。

これには深いわけがある。



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母が、書の師範代になれなかった理由。

それは、当時母(わたしの祖母)のおじが町長だったこと。

田舎ではコネクションはかなり大きなものだ。
そのためならお金だって惜しまない。
このため田舎では賄賂という文化が根強い。

祖母とてそれは同じだった。

「おじが町長の今、何かしら資格を持てばそれなりの職に就ける。」

そう言われ、母は希望していた大東文化大学への進学を諦め、幼児教育を学び短大を出た。

なぜ祖母に反抗し、書を志し続けなかったのか。
ここで母の「生真面目さ」が出てくる。


母は嫡女だった。
偉大な町長を輩出した家系の、正統な第一後継者だった。

実は、母の家系は少しだけ複雑だ。

そもそも祖父は婿養子だ。
つまり祖母が家長であった。
当時にしては珍しいが、理由がある。

祖母は戦争で父(曾祖父)を亡くしたため、母(曾祖母)が再婚し、父違いの兄弟を産んでいる。
正統な、父の血を引く兄弟の中で、一番早く産まれたのが祖母だったのだ。
これが祖母が女児でありながら家を継いだ理由である。


そんな祖母を見て育った母だ。

「婿を取っても自分が家を継ぐ」

そういう考えのもと生きてきた。
書など大成するかも分からないものを探究していては家を支えられない。
大おじが町長の今、そのコネクションで安定した職に就かねばならない。

ちょうど師範代の息子との縁談を断ったタイミングだったこともあり、母は自ら筆を折った。



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しかし母の決断は、後々何の成果も生まなかった。


まず、大おじが失脚した。
以前の記事でも書いたことだが、賄賂を受け取らなかったために罠にはめられた。
結局金でしか、地位や名誉、そして強大なコネクションは手に入らなかったのだ。

つまり、母の就職先がなくなった。
公立の幼稚園か保育所に勤めさせてもらう算段だっただけに、大おじの失脚は母に大ダメージを与えた。
結局母は、あらゆるコネクションを伝って、幼児教育とは全く関係のない事務職に就いたのだった。


次に、妹(おば)が妊娠した。
おばは未婚であった。
いわゆるできちゃった婚である。

祖父は娘の不貞にショックを受けくよくよしていたが、祖母はそんな些細なことにつまずく人間ではなかった。
さすが家長。

おばの子(いとこ)の父(おじ)は、幸い三男坊だった。
家を継ぐ立場にない。
そこに目を付けた祖母は、妊娠の告白をされた次の日、しょげた祖父を引きずりおじの実家に行き、おじを婿養子としてひったくってきた。

母がのらりくらり見合いを断り続けていたこともあり、一族の将来を憂いた祖母は、自らの手でちょうどいい跡継ぎを作り上げたのだ。


こうして母は嫡女でなくなった。


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見合いを断り続けていた母だったが、結局結婚した。
そうでなければこのわたしが存在しない。

母が見合いを断った理由は、相手が軒並み「チビで毛が薄くて親の背広を着せられた」男たちだったからだ。

そこにふらっと舞い込んだのが父との縁談だった。
父は当時そこそこ稼いでいたし、実家もそこそこ裕福だったためブランドものの服で全身を包み、パーマなどかけていた。
しかも無類の外車好き。
おしゃれな車にのっていた。

そしてなによりその豊かな髪と、180cmという長身、手足が長く、それなりに顔立ちがよく、おまけに(落ち着きがないので)勝手にペラペラ喋ってくれる。

母はすぐにOKを出して、あっという間に結婚した。



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母は現在、父の姓を名乗っている。
これは別の話になるが、父方の祖父母が三男坊すら婿に出さなかったからだ。

母は家を継ぐことだけを一心に考え、努めてきたのに、結局嫁に出てしまった。
そのことに母は未だに責任を感じているように思う。


祖母は癌で亡くなった。
祖母の看病を何年も続け、髪が真っ白になったのは母だ。

祖父も癌になった。
初期のものだったので大事には至らなかったが、未だに定期検査に付き添っているのも母だ。
その上、妻に先立たれた祖父の世話も焼いている。

祖母の念願だった跡継ぎであるいとこは、都会の女性と結婚して、実質的に向こうの家に取られてしまった。
その妹は先日入籍し、嫁入りが決まった。
ずっといとこたちを気にし続け、現状に悩んでいるのも母だ。



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正直、もう十分じゃないか、とわたしは思っている。
母は家長たる責務を全うしている。
もはや家長ではないのに、だ。
そろそろ楽になってもらいたい。


と、あたかも親思いのような言葉を並べてみたが、わたしは別に母を労りたいだけではない。


母は自身が全うできなかったことを、娘であるわたしたちにも強いる。

「お前はわたしの言うとおりに投票するんだ」
「わたしらの老後はお前がみてくれるね」
「あんたの彼氏が長男なら別れされる」
「教員免許取得が大学進学の条件だ」

全て母から言われた言葉だ。
そして、わたしは全てに抵抗をした。

もうわたしもしんどいのだ。

だから、どうか母には嫡女の呪いから直ぐにでも逃れて欲しい。
わたしが本気で母と縁を切る前に。



おしまい

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